音楽

2010年12月14日 (火)

ノエル・ホーザ生誕100周年!

Noel  先週の土曜日の営業前に、賄いのご飯を食べながら束の間の休憩を取っていた時、お店で流れていたラジオのブラジル音楽の番組での言葉が耳に留まりました。「今日はノエル・ホーザの100年目の誕生日です。」

 ノエル・ホーザ!サンバ創成期にリオに生まれ、26年の短い人生の中で数えきれない名曲を書いたサンバ界の重鎮。彼の遺した美しくて粋な曲達は後に誕生するボサノバに決定的な影響を与えたと言われています。

今年はメキシコ独立200周年、メキシコ革命100周年のアニバーサリーイヤーでしたが、ブラジル音楽界にもこんな重要な記念年だったんですね。

 彼の遺した曲をぼくは大好きで、彼の遺した名曲の数々を現代のブラジルポピュラー界のスター達が歌った「ノエル・ホーザ ソングブック」は、発売されてずいぶん経ちますが、(なにしろジョビンさんが出られているので、、、)ずっと聴き続けている名盤です。このアルバムは、その御大アントニオ・カルロス・ジョビンが序文を寄せていて、彼自身、参加アーティストのなかで唯一、2曲歌っています。(特に一曲目は渋くて最高です。)このことからも、あの大作曲家がいかにノエルを敬愛していたかがわかります。

 ノエルの曲は、メロディももちろん良いのですが、歌詞がとても粋で洒落ているんですね。すごく日常的なことを唄っているのに、、、現代ポピュラーブラジル音楽の最高の詩人、シコ・ブアルキが、若い頃「ノエル・ホーザの再来」と言われていたのも肯けます。彼の数多い(実質6年くらいの活動で200曲以上書いた!)曲の中でも、最もカバーされることの多い名曲「居酒屋の会話」なんか、居酒屋での客達の会話を歌にしただけなのになぜか愛着が湧くし、出世作の「どんな服で?」はサンバに誘われた若い男がどんな格好で行くか迷っている様子を唄ったかわいい曲。恋をしてドモリになってしまった男がドモリながら独白調に歌うユーモラスな「恋をしたドモリ」なんかも面白い。失恋した女性の微妙な心情を歌った「最後の願い」という曲、「サンバは歓びに泣き、郷愁に笑う」なんてサンバの精神を見事に歌った「祈るように」という名曲もあります。(因みに曲名は、僕が勝手に訳しました。)

 現代のカリスマ、カエターノ・ベローゾの名曲に「サンバがサンバだった頃」というのがあって、その中に「サンバは悲しみの息子、サンバは歓びの父」という一節がありましたが、これなんか、あのノエルの名曲へのアンスワ-ソングじゃないかと思っています。

 アンスワ-ソングと言えば、当時、ソングライターとして人気者だった彼を妬んだ、ある作曲家が、実は彼は生まれた時の事故で片方の頬がひどくくぼんでいたそうなんですが、そのことを茶化した「ヴィラのフランケンシュタイン」という曲(ヴィラはノエルの住んでいた地区のこと)を作ったことがあったそうなんですが、それに対してノエルは「余計なお節介」というアンスワ-ソングを作って、そのやっかみ者を一蹴したそうです。ちなみに、この曲はメロディーも素晴らしい名曲で、あのジョアン・ジルベルトや小野リサさんもカバーしています。

 この話なんか、今のヒップホップ界でライバル同士が相手を「ディスる」のを彷彿させますが、ブラジルのラッパーの先駆者、マルセロD2によると、日常的なことを取り上げてメッセージにして唄うサンバはヒップホップと共通点があるそうなので納得です。

 

 

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2010年6月 7日 (月)

Limón y Sal

Julieta 前回、メキシコ人が何にでも塩とライム、唐辛子をかけて食べるのが大好き、という話を書きましたが、このことは、もう一度、強調しておきたいです。

 特に塩とライム!これは基本です。これに唐辛子が加わると、さらに奥行きが出ますが、これは、まあ、必須ではないでしょう。

基本は塩とライム!

 テキーラを飲む時も定番ですよね。また、メキシコでビールを飲む時によくやるのが「ミチェラーダ」という飲み方ですが、これは、淵に塩を付けたコップにビールを入れてライムを絞り入れて飲みます。メキシコでホームステイしていた時、家でおばあさんが3才くらいの孫にキュウリに塩とライムをかけて食べさせていたのを見たことがあります。ねっ、やっぱり彼らは塩とライムの組み合わせが大好きなんですよ。

 サルシータでは、アボカドのディップ、「グアカモレ」を作る時、塩とライムしか入れません。良いアボカドだと、これだけでじゅうぶん美味しいと思うからです。但し、バランスが肝心で塩だけが強くてもライムだけが強くてもダメ、ぼくはこれを「塩とライムの綱引き」と密かに名付けていますが、絶妙のバランスになるように塩とライムを交互に少しずつ加えていきます。うちの店では、キッチンに新人スタッフが入ると、まず、このバランスを覚えてもらうことから始めます。あと、「チキンとライムのスープ」というユカタン半島の名物料理もメニューにありますが、これも「塩とライムの綱引き」で味を決めていきます。この場合はハラペーニョという唐辛子やオレガノなどのハーブも入るので、さらに複雑な味わいになっていますが、、、

 Limom さて、メキシコを代表するポップシンガー、フリエッタ・べネガスが06年に出したサードアルバムのタイトルはそのものズバリの「Limón y Sal」(レモンと塩)!ちなみにメキシコには、日本のような黄色いレモンは見当たらず、こちらでいうライムがレモン(あちら風にはリモン)になります(写真左)。上のCDジャケットに写っているのは黄色いレモンですが、、、世界マーケットを意識してわざと、世界的にメジャーな黄色いレモンにしたのでしょうか?ちなみにメキシコのライム(レモン)は日本のよりずっと小さいです。日本に来てるのは輸出用に作ったやつみたいです。

 さて、このフリエッタ嬢、声も良いし曲も良い、アコーディオンもピアノも弾くし、彼女の書く歌詞の世界は、いわゆる、濃い情熱的なステレオタイプのラテンの世界とは違い、等身大の現代の女性の心情を飾らずに表現していて、とても心に刺さります。ぼくの大好きな素晴らしいアーティストの一人です。

このアルバムのタイトル曲の歌詞もけっこうシニカルで、

「実を言うと、あなたのこと、ときどき好きじゃないの」とか「実は、幸せって信じたことが無いの、そんなものがたまに見える気がするけど、ただの偶然なのよ」といった感じから、「でもあなたの瞳を見てると何かを感じてあなたのそばに居たくなるの」と持ち上げて、サビのコーラスのところは、こんな内容です。

Yo te quiero con limón y sal, yo te quiero tal y como estás,
no hace falta cambiarte nada,
yo te quiero si vienes o si vas,
si subes y bajas y
no estás seguro de lo que sientes.

私はレモンと塩であなたを愛する、あなたのままのあなたを愛する、だから変わろうとしないで、あなたが行こうと来ようと、上がろうと下がろうと、あなたがどう感じてるか分らなくても。

ありのままのあなたを、ライムと塩をかけて私流に愛するわ、というすごいメキシコ人女性ならではの世界ですね。(笑)

メキシコ人にとって、塩とライムがいかに重要か、分っていただけましたか?

 

 

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2010年5月31日 (月)

SONORA DINAMITA

五月も、もうすぐ終わりだというのに、肌寒い日が続きますね。地球は温暖化してるんじゃなかったんですかね?寒がりなもんで、今朝も冬用のフリースを着て通勤してしまいました。

さて、先日、このブログを読んでくださっているというあるお客さんから、Sonoradinamitaa 「最近、映画や音楽の話が無くて残念です。」と言われてしまいました。

そう言われてみると、確かにそうですね、最近、仕事が忙しくて私生活に余裕が無いので、新しい映画や音楽に触れることがなかったものですから、、、

そこで、今日は、最近の話ではないですが、ぼくが、20代の頃、海外で暮らしたり旅したりしていた頃に流行っていた南米コロンビアのグループ"SONORA DINAMITA"(ソノラ ディナミタ)について書いてみます。このソノラというのは、スペイン語で、いわゆる、楽団という意味で、ディナミタというのはダイナマイトのことなので、直訳すると「ダイナマイト楽団」という意味になりますかね。

コロンビアのリズムに「クンビア」というのがあって、これは、とても踊りやすくてメキシコでもとても人気のある音楽ジャンルなんですが、彼らは、このクンビアのリズムに乗せてラテン特有のちょっと毒の効いたユーモアあふれる歌詞を歌って、スペイン語圏全体で大人気を博していました。ニューヨークで働いていた頃、同僚のエクアドル人が彼らのカセットをよく仕事場で流してましたし、スペインで、牛追いで有名なパンプローナのサンフェルミン祭りに行ったときに、市長さんが祭りの始まりを宣言した直後の最高に盛りあがった状態の時に入ったバーでは白と赤の伝統的な衣装に身を包んだ若い女の子達が、彼らの最大のヒット曲"EL CUCU"を、お尻振り振りとても楽しそうに踊っていたのを覚えています。(何でお尻振り振り?興味ある方は歌詞を調べて下さい!)

白状しますと、このブログのタイトル"LUCHANDO CADA DIA"も彼らの曲の一節から取っています。"SACA LA MALETA"という曲で、だらしない亭主に怒り心頭の奥さんが毒突いている内容の歌詞なんです。

yo trabajo luchando cada dia
pa' traerte la ropa y la comida
y disfrutas con otra por la calle
sin verguenza dandote buena vida

私は、働いて、毎日闘っている、あなたに服や食事を与えるために。それなのに、あなたときたら、そこらへんの女と好き勝手に遊んでいる。恥知らずでいい気なものね。

こういう内容の後、奥さんが"Saca la maleta y no vuelvas mas"(出て行って、二度と帰らないで)とブチ切れてしまいます。そこに旦那が、「落ち着けよ、気が違ったんじゃないだろ、おい石鹸を食べるな、石を投げるな!」とからむんですが、このへんが情景が浮かぶようで、絶妙でとても面白いんですよ。ラテン的なユーモアですよね。

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2009年8月11日 (火)

シコ・ブアルキのプロテストソング

 前回、ブラジルの音楽家シコ・ブアルキに関することを書いて、ちょっと前に、キューバのミュージシャン、ウイリー・チリーノのプロテストソングについて(批判的に)書きましたが、そういえば、そのシコこそが、プロテストソングの大家だったことを思い出しました。

 Chico シコ・ブアルキという人は、おじいさん(おじさんだったかな?)が、有名な辞典を編集するようなインテリの家系の出身で、彼の書く歌詞は文学的な香りに溢れていてます。とても若い頃から、若くして亡くなった昔の伝説的なサンバ作曲家、歌手のノエル・ホーザの再来と言われてたようです。作詞、作曲家としての彼は、まさに超一流、唯一無二の特別な存在で、ウイリー・コロンやアナ・べレンなど、スペイン語圏の歌手達も競うように彼の曲を歌っています。

 シコの若い頃は、ブラジルが軍事政権に支配された頃で、反社会的な歌詞などは徹底的に検閲され排除された頃でした。同年代のカエターノ・ベローソやジルベルト・ジルなどは、特に反社会的なことを歌っていないのに、その自由闊達な歌詞世界が伝統的な価値観を乱すとされて逮捕、収監され、その後、国外追放になっています。

 余談ですが、カエターノ、ジルがイギリスに亡命する直前に行ったライブで歌った(絶叫した?)「プロイビド プロイビール」(禁止することを禁止する)という歌のフレーズは、スペインの不良オヤジホアキン・サビーナとアルゼンチンの伊達男フィト・パエスが彼等の蜜月期にがっぷり四つに組んで発表したアルバム「エネミーゴス インティモス」(親密な敵同志)のラストでつかわれていましたね。

 シコ自身も一時イタリアに亡命を余儀なくされますが、割と早く帰国。独裁的な軍事政権を批判する歌を発表しています。検閲を避けるため、ダブルミーニングを持つ言葉を使うなどしていますが、そのことが、かえって歌の普遍性を高めているような気がします。

ぼくが、特にすごいと思ったのは「カリシ」(聖杯)という曲で、こんな歌詞です。

父よ、この杯を私から遠ざけてください。
血に染まったワインを

どうやってこの苦い飲み物を飲むのか
痛みに耐え、苦労を我慢するのか
口は閉じても心は開いている
だれも町の沈黙を聞くことができない
聖女の息子であっても、それにどんな価値があるのか
他人の息子であったほうがましだ
まだくさり具合のましな他の事実
あまりに多くの嘘とあまりにひどい暴力

父よ、この杯を私から遠ざけてください。
血に染まったワインを

無口になりながら目覚めるのはなんと難しいことか
私は夜の沈黙に絶望している
引き裂くような叫び声をあげたい
それが他者に聞こえる唯一の方法だ
あまりの静けさに気が遠くなる
呆然としながらも注意深くしている
どんな瞬間にも観客席から
沼の怪物が現われるのをみられるように

父よ、この杯を私から遠ざけてください。
血に染まったワインを

「父」というのはカトリック教会の神父、ポルトガル語で「カリシ」という言葉にはキリスト教における聖杯という意味の他に「黙らせる、沈黙を強いる」という意味があり、カトリック的な価値観を良しとする支配者に文句をつけられないようにしながらも、民衆の心を代弁して、その支配者を厳しく糾弾する歌詞になっています。

 この曲をシコをジルベルト・ジルと共作し、やはり、同年代のミルトン・ナシミエントと歌っています。シコの重い声とミルトンの美声のコントラストでとても良いのですが、カエターノの妹、マリア・ベターニアの歌うバージョンも素晴らしく良いです。それにしても、この世代のブラジルはパウリーニョ・ダ・ヴィオラといい、ジョルジ・ベンといい、ジャバンといい、優れた作曲家を多く輩出していますね。もしかしたら、弾圧が優れた芸術を生むという面もあるのでしょうか?

 

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2009年7月 8日 (水)

Lo que esta pa'ti

  むかーし、よく聴いた曲が、突然、頭の中に甦って来て、ぐるぐる廻り出すってことありませんか?そういうことが、最近、起きてしまって、とてもその曲を聴きたくなったのですが、いかんせん、20年近く前のことで、その時聴いていたカセット!しかもニューヨークの路上で買った海賊版ですから、もうどっかに行ってしまってます。でも、最近は、便利なインターネットがあるので、アマゾンで探したらオリジナルではないけど、ベスト盤でその曲が入っていたのを見つけ、安かったので買っちゃいました。Willie_chirino

マイアミ在住のキューバ人、ウィリー・チリノの20年くらい前のヒット曲「ロ ケ エスタ パティ」(Lo que esta pa'ti)です。ウイリー・チリノという人はキューバで生まれて少年時代にアメリカに家族と共に移住した人で、最も影響を受けたのはビートルズというだけあって、ロック的な感性やエレクトリックな音を伝統的なキューバ音楽にミックスしたサウンドで、マイアミでは絶大な人気を誇っています。英語で歌っていないので全米的な知名度では劣りますが、さしずめ、男版グロリア・エステファンといったところでしょうか?

"Lo que esta pa'ti"の内容は、君のためにある物は誰も取ったりしないよ、人生いろいろあるけど、だから頑張りな、みたいな、まあ、そんなに深い内容ではないのですが(スペイン語が分る方はこちらをどうぞ,ドン・ジョンソンが出て来るところがあの頃のマイアミっぽいですね、、、)、こんな時代で、大事にしているものがいつ無くなるかもしれないなんて思いながら聴くと、こんな軽ーい感じの曲なのにとても心に響くものがあります。まあそれは良いのですが、このベスト盤の外の曲って、「キューバを自由に!」なんていう社会的なメッセージをストレートに歌った曲が多すぎて、ちょっとげんなりしてしまいます。彼のバックグラウンドを考えると政治的な姿勢は一応理解出来るのですが、なんか、メッセージがあまりに前に出すぎちゃって、音楽として楽しめない気がします。

 かつて、アルゼンチンのフォルクローレの巨匠アタワルパ・ユパンキが、同国人のメルセデス・ソーサを評して、「才能はあるが、メッセージソングを歌いすぎている。プロテストソングに普遍性は無い。」と苦言を呈していたことがありましたが、そんなことを、改めて思い出しました。

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2008年8月 4日 (月)

NOCHE DE BODA(婚礼の夜)

519msj3jul  今、朝の9時半から夜の12時半まで、連日の15時間労働の最後の数分に独りぼっちの店内でかけて癒されている曲があります。

 スペインの不良オヤジロッカー、ホアキン・サビナ兄貴が、メキシコ(生まれたのは中米らしいが)の生きる伝説的なお婆ちゃん歌手、チャべーラ・バルガスさんとデュエットしている"NOCHE DE BODA"。

 チャべーラさんが酒で潰れたガラガラ声を振り絞って、思いっきりメキシコ風味ぷんぷんのスペイン語で、ホアキンに愛情たっぷりに語りかける(というか茶化してる)長い台詞で、始まり、やはり、酒と煙草で潰れた渋い声のホアキン兄貴の、お得意のつぶやくような歌が始まる。

「化粧が、君の笑みを隠さなければいいのに」「荷物が、君の翼に重しを付けなければいいのに」「暦が、そんなに急いで来なければいいのに」「辞書が弾丸を引き留めればいいのに」、、、以後、「角のバーが閉まらなければいいのに。」「全ての夜が、結婚式の夜だったらいいのに」といった他愛の無い願いから、「真実がそんなに複雑でなけれいいのに」「嘘が嘘らしく見えればいいのに」といった、社会を鋭く風刺したような願いまでが次々と唄われていく。

その中で、一番ぼくの胸を打つフレーズはこれ、 "que ser valiente no sea tan caro, que ser covarde no valga la pena"(勇敢になることがそんなに高くつかないように、臆病になることにそんなに意味がないように) 

メキシコ民謡「ランチェラ」の名歌手として一世を風靡しながら、その奔放な生活と酒のせいで長ーい療養期間を余儀なくされ、引退状態から、老境にさしかかってから奇跡的なカムバックを果たして新たな録音や映画出演などに大活躍しているチャべーラさん。

スペインの保守的な南部の町の警察署長の息子として生まれながら、専制政治に反逆し、銀行に火炎瓶を投げつけて、若くして亡命者となったホアキン兄貴。

 時代に流されず、自分の信念を貫いて、長年闘い続けてきた二人が唄うから、このフレーズが、より重みを持って聴こえるのでしょうね。

 ちょっと前に、「品格」という言葉が流行って、一つの本がバカ売れしたら、二匹目、3匹目のドジョウとばかりに、「~の品格」という本やテレビ番組が作られていましたが、そんな流行りの尻馬に乗って儲けさせてもらおうなんていう見え透いた思惑の、どこに「品格」があるのか。

 本当の「品格」というのは、長い辛い時代にも負けずに、世間に迎合せずに孤独に自分を貫き通した彼等にこそ相応しいのだと思います。そんな彼等(特にチャべーラさん)が、子供に還ったような無邪気さで、色々な願望を次々と唄っていくこの曲で、長い1日の終わりに癒されています。

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2007年11月 5日 (月)

カフェタクーバ最高!

 去る11月3日、品川のステラボールで行われたカフェタクーバのライブに行って来ました。 いやあ、彼等のライブは凄いと聞いていたし、2枚出しているライブ盤もとても良い出来なので、期待していたのですが、その予想を上回るような最高のライブでした。

 始まりこそ、ニューアルバムの1曲目の"Seguir siendo"で渋くきめてましたが、その後一気にヒートアップ、最初は白いスーツでかっこよく決めていたボーカルのルベンもTシャツ姿になって大暴れ、"La ingrata"や"El fin de inocencia"なんか超ノリノリで舞台の端から端まで駆け回ってましたね。また、ぼくの大好きな"Mediodía"をやってくれたのも嬉しかったなあ。この曲の歌詞の"Mira los niños juegan globos de qualquier color, mira la gente compran helados de cualquier sabor." (あの子供達を見てごらん、色んな色の風船で遊んでいるよ、あの人達を見てごらん、色んな味のアイスクリームを買っているよ。)というところが、チャプルテペック公園の土曜日の午後の平和な光景が思い浮かぶようで大好きなんですよね。そして、アンコールでやった、"El baile y salon"! この曲のコーラスのところは、ライブが始まる前から一部のお客さんが合唱していましたが、"La vida es un gran baile, y el mundo es su salon."(人生は大きなダンスパーティーみたいなもので、世界はその会場なんだ。)というところではやはり胸がキュンとなりましたね。

 とても感銘を受けたのは、彼等のお客さんを徹底して楽しませようという真摯な姿勢です。観客に日本風に深くお辞儀をしてこちらの文化に敬意を表したり、音楽だけで充分勝負出来る良いバンドなのに、演劇風の要素を取り入れていたり、メンバー横一列でアイドル風のダンスをしたり、トリのトサカの付いたマスクを被ってみたりと、大サービス。結成18年目のベテランでラテンアメリカではスタジアムを一杯にするほどの超人気バンドなのに、日本で彼等にしてみればすごく少ない観客相手でも手を抜かずに精一杯楽しませようとしてくれる。そういう点は、業種は違えど僕達も見習わなければ、と思いました。そういえば、"La ingrata"の間奏のところで、ルベンが「ガンバリマショウ!」と叫びましたが、あれは、後で考えれば、"Animate!"というこのイベントのタイトルを日本語に訳して言ってたんですね。その辺も主催者側に気を遣ってくれたようで、良い人達だなあ、と思いました。

 兎に角、カフェタクーバ、惚れ直しました。今まで生きて来て良かった、メキシコを好きでいて良かった、と元気と勇気をもらったライブでした。

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2007年3月26日 (月)

Homenaje a Beny More(ベニー・モレーに捧ぐ)

 最近のサルシータでヘビーローテーションになってるのが、最近、サルサの名門ファニアレコードからの復刻版で出た、マンボの王様ティト・プエンテが女王セリア・クルースを迎えて、キューバ大衆音楽最大の歌手ベニー・モレーに捧げたこの一枚です。

 ベニー・モレーは、43才の若さで他界しているので活動期間は短いのですが、自らのビッグバンド"Banda Gigante"を率いて,"El Barbaro del Ritmo"(リズムの驚異)と讃えられたほど、どんな歌でも自分流に男っぽく歌いこなし、革命後に多くのアーティストが国を離れてもキューバに残って歌い続けてキューバ国民にとって燦然と輝くアイドルでした。ちなみに、,"El Barbaro"は直訳すると野蛮人という意味で、「とんでもない奴」という賞賛と驚愕が入り交じった感じで付けられたニックネームですね。

 実は、彼、若い頃はメキシコで活躍していたことがありました。ソンの大御所バンド、トリオマタモロスと共にメキシコで公演して、バンドがキューバに帰った後もメキシコに残ってメキシコ人女性と結婚しています。やはり、メキシコで活躍していたマンボの創始者ペレス・プラードとレコードを吹き込んだり、映画にも出たりしたようです。やはり、当時から、メキシコはラテン芸能界の一大拠点だったのですね。

 さて、話題をこのティトとセリアのアルバムに戻すと、本当に最高です!ラテン音楽に馴染みの無い人にもお勧め出来ます。一曲目が始まった途端に体が軽くなるような感じ、煌びやかなビッグバンドのホーンセクションに、とろけるようなカウベルの響き、そして、すべてを包み込むような女王セリアの歌声。幅広いレパートリーを誇ったベニーに相応しく、一曲目はコロンビアの曲、2曲目はメキシコの、なんとランチェラの名曲を底抜けに明るくカバー、3,4曲目はプエルトリコの曲で、特に4曲目の大作曲家ペドロ・フローレスの名曲「ぺルドン」はベニーはメキシコの大歌手ペドロ・バルガスと貫禄あるデュエットを聴かせていましたが、ここではセリアがプエルトリコ出身で渋い通好みの歌手ピート・エル コンデ・ロドリゲスと迫真の競演。次の曲では当時、個人的なトラブルが重なって落ち込んでいたはずのエクトル・ラボーが、昔の悪ガキ時代を思い出したかのような、吹っ切れた元気良い歌声を聴かせてくれているのも嬉しい限りです。

 

 

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2007年1月 9日 (火)

世界で一番美しい歌

世界で一番美しい歌

                            ホアキン サビーナ

俺は持っていた。

穴の無いボタンと蚕、サーカスのピエロの靴の片方、

売りに出ていた魂を一つ、虫歯だらけのスペイン語のオリベッティ、

時刻に遅れた列車、アトレティコの証明書、グラスの底の顔を

償いの学校、コンパス、丸テーブル、一粒の胡桃、

相棒のあばら骨が欠けたアダムの咽喉仏、

糖尿病の自転車、積雲、巻き雲、成層圏

バルタサール王の駱駝、雄猫のいない雌猫

俺のアニーホール、俺のジョコンダ、俺のウエンディ、ファーストレディ達、

俺のカンティンフラス、俺のボラ ニエベ、俺の三銃士、

俺のティンティン、俺のヨーヨー、俺のアスレテ、タロットカードの七番目の盃

服を一枚も脱がさずに君を裸にした玄関のロビー

俺の隠れ家、俺の高いキー、俺の腕時計、

山高帽の中のアリババのランプ、

春が1秒も続くなんて思いもしなかった。

そして、俺は世界で一番美しい歌を書きたいと思った。

君達に、ろくでなしの俺の爺さんを紹介しよう。

それから、俺の独り身の女房と外国の軍隊から俺に名前をつけた名付け親を

俺の双子の兄、行商人の親分、唄うたいの甥っ子を持った海のシンドバッドを

あばずれの従姉妹のカルロッタと彼女のダックスフンドを

災厄から身を護るための俺の甲冑も

吹き出物だらけの小僧が夢で追いかける蝶々

夢の中でミロのビーナスを抱きしめたとき、彼女に腕が無いことに気付く

馬鹿らしい金儲けの話から自由になった俺は

白鳥の歌の学校で教鞭を取った。

シレーネのシモンと一緒にカルバリオ山に旅に出た。

アデリータがもし兵站隊長と出かけてしまったら、君はどうするんだい

希望が殆ど無くなって、白旗を掲げた  

もし俺の目が見えなくなったら、待ち人リストから探してくれ

死にかけの流れ者からラムを1瓶譲り受けたが

深い昏睡状態から戻るとき、あの戒めを忘れてしまった

今まで全く唄えずにいたのだが、、、

海の涎の歌、血管の中の稲妻の歌

泣くに値するときに流す涙の歌、

世界を放浪する者達の妊婦のように膨れ上がった落書き帳の1ページを

怒り狂った者どもの聖歌を書き記すインクの1滴を

そして、俺は世界で一番美しい歌を書きたかった。 

前にも書いた工藤美千子さんの「黄昏の詩人」という本の中に出てくる話で、堀口大學がこんなことを言っていたらしい。

 「詩を読んでいるうちに好きで好きでたまらない作品に出逢う。それを繰り返し読んでいるうち、自分の内部に欲情が湧いてくる。美女をわがものにしたいと男が思うのと同じ欲情だ。詩をわがものにするには、原作の着ているフランス語の着物を一度脱がせて、それに自分の言葉の着物を着せる。」

 さすが、「私の耳は貝のから、海の響きをなつかしむ。」などの名訳を残した大學らしい名言ではないですか?

そんな言葉に触発されて、ここ数年で何故かとても気に入って何度となく聴いている、スペインの不良オヤジ、ホアキン・サビーナの歌の歌詞を訳してみました。

相変わらず、よく解らないけど、すっきりした!

因みに、スペイン語のオリジナル歌詞はこちらです。

 

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2006年12月18日 (月)

ビクトル・ハラ

 ピノチェトの訃報を聞いてから、思い出したように、チリ出身の自作自演の歌手、ビクトル・ハラのCDを引っ張り出して聴いている。ハラという名前から、初めは日系の人なのかと思ったけど、そうではなかった。今年、盗作問題で話題になったイタリア人の画家の名前がハラさんだったから、実はイタリア系だったのかもしれない。

 それは、さておき、、、当時、ヌエバカンシオン(新しい歌)と呼ばれたプロテストソングを多く作り、歌い、チリの脆弱な社会主義政権を支持していた彼は、クーデターの際に他の多くの仲間と共に捕らえられ、サンチアゴのフットボールスタジオに拘留された。そこで、落ち込んでいる仲間達を励まそうと、制止を振り切ってギターを取り上げて歌いだしたため、、拷問されて殺されたらしい。享年34才だった。 この辺りのことは、五木寛之さんの小説「戒厳令の夜」にも書かれている。

 初めて、彼の曲を聴いたとき、その素朴なんだけど人の心を捕らえる歌声に魅了された。"TE RECUERDO AMANDA"「アマンダの想い出」というその曲は、青春期の女性のきらめくような美しさを映像的に切り取った歌だった。彼は歌いだす前は演出家として演劇をやっていたそうで、その才能が彼の書く詞には現れていた。激しいプロテストソングも歌ったが、"CUANDO VOY AL TRABAJO"「仕事への道すがら」とか"PEREGARIA A UN TRABAJADOR"「耕す者への祈り」など、彼の書く歌には庶民の生活に根ざした温かい視線がいつも感じられた。彼のそういう面が僕は好きです。

 そういえば、ちょっと前にアントニオ・バンデラス主演でハラの伝記的な映画を作るという計画があると何かの雑誌で読んだ気がしたけど、どうなったのだろうか?そうなれば、美形ではないが、意志の強さと人間的な暖かみが出ているマスクの彼のことがチェ・ゲバラのように有名になるのかな?と思ったのだけれど。そういえば、バンデラスは昔に、クーデターで倒されたサルバドール・アジェンデ大統領の姪の小説家イザベル・アジェンデの代表作「精霊の家」の映画に出ていましたね。

ビクトル・ハラについての詳しいサイト homepage2.nifty.com/akanotama/jara/index.html

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