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2011年7月 7日 (木)

いのちの半ばに

Inochi  前から気になっていた作家、アンブローズ・ピアスの短編集「いのちの半ばに」を読みました。

 彼はアメリカの1842年生まれの作家で、短編作家としては、芥川龍之介にも絶賛されたほどの名手でしたが、ジャーナリストとしても辣腕を奮い、ニガヨモギと酸をインクの代わりに用いると評され、ペン1本で簡単に人を殺すことも出来ると恐れられた存在でもあったようです。

 筒井康隆さんが惚れ込んで訳した「悪魔の辞典」という怪書?を著したりと、とてもシニカルな作風で知られていますが、確かにあの本(僕は原書でちらっと読んだだけですが)には、筒井作品に通じるブラックユーモアを感じました。

 さて、南北戦争の時代を背景にしたこの短編集には、筒井作品というよりは、星新一さんのショートショート作品に通じるような短さと最後の切れ味鋭いオチが特徴的な作品が7つ収められています。そして、全てが死を目前にした人間の悲喜劇のようなお話になっています。考えてみれば、この短編集の中の一人の登場人物が語っているように、死というものは、誰も経験して語ったことが無い、つまりは全ての生きている我々にとっては、フィクションに過ぎないのだから、サイエンスフィクションに感じが似てるのかもしれません。

 死という重いテーマに向きあっても、諧謔的な視点で描き出すというところに、彼の反逆精神を感じますし、そういうふうに死を、或いは人生そのものを滑稽な対象としていくぶん醒めた視線で見るところには、"La vida no vale nada."(人生なんて生きる意味が無い)と唄って盛り上がるメキシコの有名な大衆歌謡の精神に通じるものを感じます。

 実際、彼は、晩年、祖国であるアメリカ合衆国に幻滅して、革命の戦火に燃えるメキシコに向かい、そこで失踪、謎の死を遂げています。こんなに様々な「死」を作品に取り上げた彼は、自分の死に方にもこだわったのではないか? ビアスが、メキシコ文化に根ざす祝祭的な「死」のイメージに共感して、自分の死に場所をメキシコに求めたことは想像に難くありません。

 ビアスのメキシコでの失踪事件については、メキシコの著名な作家、カルロス・フエンテスの小説「老いぼれグリンゴ」で触れられていて、ぼくは、この本でビアスのことを知りました。この作品はハリウッドで映画化されていて、ビアス役は、渋いグレゴリー・ペック、ヒロインはジェーン・フォンダが演じていました。

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