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2011年1月19日 (水)

ソルファナの言葉4

Juana_ines_asbaje 1651年に、メキシコシティの郊外のけっして裕福ではない賃貸農園の家に私生児として生まれたファナは、5才くらいには読み書きが出来るほど早熟な子供だったらしいです。祖父の蔵書などを読んで知的好奇心を満たしていたが、8才になるとメキシコシティに「大学」というものがあると知り、女は入れないと知ると、男装させて行かせて欲しいと言って母親を困らせたとか、、、

 13才くらいで、知遇を得て副王宮の侍女に取り立てられると、持ち前の美貌と機智に富んだ性格で副王夫人に可愛がられ、宮廷の寵児となりますが、17才で一大決心をして修道女になります。これは、宗教的な動機というよりも、結婚して男性に従属して生きることを嫌った彼女が、財産の無い女性が好きな学問や文学に取り組める唯一の道として仕方なく選んだようです。左の肖像画は、彼女が16才ころの僧門に入る前のものらしいですが、聡明で美しく、負けず嫌いのようなところが出ていますね。

 今回読んだ「知への賛歌 修道女ファナの手紙」にはファナの残した手紙が2通収められていますが、そのうちの1通には、女性が充分な教育を受けることが出来ない不当さを訴えているようなところがあります。博学強記な彼女のこと、古今の多くの文献を例に出して興味深い記述が多くあるのですが、自分が料理をする人間なので、特に気に入ったのは料理について述べているところです。彼女が料理をしていて発見した「自然の秘密」(卵の黄身と白身は全く別の性質を持っているとか)をいろいろ並べたあと、こう結んでいます。

 しかし、修道女様、私たち女は台所の哲学以外の何を知りうるでしょうか?ルぺルシオ・レオナルドがうまく言ってくれている通り、哲学をしながら夕食を用意することは確かにできるのです。そして、私はこうした小事を目にするにつけ、いつもこう言っています―もしアリストテレスが料理をする人であったなら、もっと多くのことを書けたはずだ、と。

 料理を作ったりするのを取るに足らないことと軽く見る男性に対する当てこすりのようでもあり、機会さえ与えられれば女性も男性を凌駕するようなものを書けるのだ、という意思の表明のようでもあります。

 そういえば、修道院というところは、オリジナリティのある料理が作られたところらしく、メキシコ料理の傑作と言われるもの、「モレ ポブラーノ」とか「チレス エンノガーダ」などは、植民地時代に修道院で産み出されたものでしたね。

 

 

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