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2007年3月

2007年3月29日 (木)

La vida es fragil

 10年来の付き合いで、お客としてもよくお店に来てくれていた友人の訃報が届いて、今、お通夜に行って来ました。突然のことで、なかなか信じられず、半信半疑の気持ちで行きましたが、葬儀場の前に彼女の名前が大きく書かれてあった案内を見た途端、実感が湧いてきて涙が出そうになりました。喪服で集まっている人達の中に、あちらこちら見覚えのある顔が、、、思えば開店してすぐで閑な頃、彼女がいろんな友達を誘って毎月のように来店してくれたのでした。経営が苦しかった時に、どんなに助かったことか。こんな優しい人達のお陰であの店も続けてこれたのだな。泣くまいと思っていたけど、彼女のお母さんに挨拶したときに、涙が出てきました。自分も子の親だから思うのだけれど、自分の子供に先立たれることの悲しみが想像出来たから。

 家路に着くときに、頭の中で鳴っていたのは、メキシコのロックバンド「エル トリ」の歌の一節です。

"La carne es debil  La vida es fragil  y en un instante se puede acabar"(肉体は脆い。 命は儚い。 たった一瞬で終わってしまうこともある。)

 剣道や空手をやっていて健康そうだった彼女が、こんなにあっけなく逝ってしまうなんて。この歌の作者のアレックス・ロラの言葉を今一度思い出しました。「人の命なんて儚いもんだ。だから、神が与えてくれたこの生きていられる時間は大切にしないといけないんだ。」

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2007年3月26日 (月)

Homenaje a Beny More(ベニー・モレーに捧ぐ)

 最近のサルシータでヘビーローテーションになってるのが、最近、サルサの名門ファニアレコードからの復刻版で出た、マンボの王様ティト・プエンテが女王セリア・クルースを迎えて、キューバ大衆音楽最大の歌手ベニー・モレーに捧げたこの一枚です。

 ベニー・モレーは、43才の若さで他界しているので活動期間は短いのですが、自らのビッグバンド"Banda Gigante"を率いて,"El Barbaro del Ritmo"(リズムの驚異)と讃えられたほど、どんな歌でも自分流に男っぽく歌いこなし、革命後に多くのアーティストが国を離れてもキューバに残って歌い続けてキューバ国民にとって燦然と輝くアイドルでした。ちなみに、,"El Barbaro"は直訳すると野蛮人という意味で、「とんでもない奴」という賞賛と驚愕が入り交じった感じで付けられたニックネームですね。

 実は、彼、若い頃はメキシコで活躍していたことがありました。ソンの大御所バンド、トリオマタモロスと共にメキシコで公演して、バンドがキューバに帰った後もメキシコに残ってメキシコ人女性と結婚しています。やはり、メキシコで活躍していたマンボの創始者ペレス・プラードとレコードを吹き込んだり、映画にも出たりしたようです。やはり、当時から、メキシコはラテン芸能界の一大拠点だったのですね。

 さて、話題をこのティトとセリアのアルバムに戻すと、本当に最高です!ラテン音楽に馴染みの無い人にもお勧め出来ます。一曲目が始まった途端に体が軽くなるような感じ、煌びやかなビッグバンドのホーンセクションに、とろけるようなカウベルの響き、そして、すべてを包み込むような女王セリアの歌声。幅広いレパートリーを誇ったベニーに相応しく、一曲目はコロンビアの曲、2曲目はメキシコの、なんとランチェラの名曲を底抜けに明るくカバー、3,4曲目はプエルトリコの曲で、特に4曲目の大作曲家ペドロ・フローレスの名曲「ぺルドン」はベニーはメキシコの大歌手ペドロ・バルガスと貫禄あるデュエットを聴かせていましたが、ここではセリアがプエルトリコ出身で渋い通好みの歌手ピート・エル コンデ・ロドリゲスと迫真の競演。次の曲では当時、個人的なトラブルが重なって落ち込んでいたはずのエクトル・ラボーが、昔の悪ガキ時代を思い出したかのような、吹っ切れた元気良い歌声を聴かせてくれているのも嬉しい限りです。

 

 

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2007年3月18日 (日)

燃える平原

 口から漏れる泣き声は、岸を削る濁流の音に似ている。ターチャはしゃくりあげながら、わなわなと身を震わせる。その間にも、大きく盛り上がった川はどんどん水かさを増しつづける。そして、あっちから吹いてくる腐ったようなにおいは、ターチャの濡れた顔にもふりかかる。するとターチャの二つの小さな乳房は、しきりに上下に揺れはじめる。まるでいきなりふくらみだして、いよいよ堕落の底へと、ターチャをひきずりこもうとでもするかのように。  「おれたちは貧しいんだ」

 こういうことになったのは、タニーロが罪ほろぼしの苦行をする気を起こしたからだ。そばを歩いている男たちが、守り札の代わりに胸と背にぶ厚いサボテンの葉をぶらさげているのをみて、自分もそうしたいと言い出したのだ。しばらくするとシャツの袖でわざわざ両足をしばってよたよたと歩きはじめた。そのうちに、いばらの冠をかぶった。目かくしもした。タルパが目の前に迫ると、ついにはひざまずき、腕を背中に組んで、膝の骨で地面にこすりながら進んでいった。そうやって見るからに異様な肉の塊りとなったタニーロ・サントスはタルパにたどり着いたのだ。  「タルパ」

 20世紀メキシコの偉大な作家、ファン・ルルフォの短編集「燃える平原」を久し振りに読み返してみて、その圧倒的な迫力に、またもや打ちのめされてしまいました。この本に収められている17の短編は、いずれも、ごく短いものですが、全てがヘビー級のパンチのような力強さを持っていて、最後まで読み終わる頃には完全にノックアウトされてしまいます。

 全ての物語の舞台は、ルルフォの故郷で、メキシコのハートランドとも言えるハリスコ州の南部地方、乾いた、熱い大地。時代はメキシコ革命直後の混乱期です。登場人物は何れも過酷な運命に逆らいながら自分達の生を全うしようとする無名の農民や兵士たち。そこには、絶望、死、エロス、暴力が荒々しく交じり合い、人間の根源的な問題に迫っています。翻訳した杉山晃さんがあとがきで書いているように神話的ですらあります。

 思うに、時代がどんなに変わろうが、テクノロジーがいくら進歩しようが、地球のどこに居ようが、人間の性や感情というのは変わらないのでしょう。だから大昔に書かれたギリシャ悲劇やシェークスピアが未だに上演され続けるわけです。ルルフォが描き出した、この世界の現代版は(舞台を農村から都会へと移した)映画の「アモーレス ペロス」や「シティ オブ ゴッド」なのでしょう。

 ルルフォは、結局、この作品と、やはりとんでもない傑作の長編「ペドロ パラモ」の二作を30代で書き上げた後、一遍の小説も書いていません。これだけのものを書いてしまうと次が書けなくなるのでしょう。「冷血」を書いたカポーティが、その後、全く書けなかったように。あとがきにもありますが、確かにこれらは作者にさえ沈黙をを強いるような強烈な作品なのです。読者にしてみても、これを読み終わった後は、ペラペラと気安く感想を述べる気にはなりません。ただ黙ってテキーラでも飲りたくなるだけです。

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2007年3月 3日 (土)

PENETRAR

 今日は桃の節句ということで、女性を讃える話にしたいと思います。

 あれは今から13年前のこと、スペインを旅していた僕は、更にその2年前にチリの標高2500メートルの砂漠の中の小さな村、サン ペドロ デ アタカマで知り合ったスペイン人の女性を、彼女の故郷であるカタルーニャ地方の小さな町に訪ねていました。住民は、皆、知り合い、というくらいの小さな町でしたが、彼女のボーイフレンドや他の友達と、カフェや食堂、クラブなどを巡って楽しく過ごさせてもらいました。彼等同士の話は全てカタルーニャ語なので、僕には理解できなかったのですが、僕と話す時だけはカスティヤーノ語(いわゆるスペイン語ですね。)に切り替えてくれていました。

 そして、次の日の朝、彼女の実家の大きな家に泊めてもらっったのですが、なかなか他の人が起きて来ない。やることがなくてリビングをうろうろしていたら、マガジンラックにスペイン語版の雑誌「コスモポリタン」があったのでひまつぶしに読み始めたのです。すると、その中にメキシコ人の作家ラウラ・エスキバルのインタビュー記事がありました。彼女の"COMO AGUA PARA CHOCOLATE"(日本語タイトルは「赤い薔薇ソースの伝説」)という小説は夫でもあった映画監督アルフォンソ・アラウによって映画化され、その前の年にニューヨークで外国語映画としては新記録の一年以上のロングランとなる大ヒットになっていました。(ちなみにそれまでの記録はスペインのペドロ・アルモドバル監督の「神経衰弱ぎりぎりの女達」でした。)また、原作の小説もニューヨークタイムスのベストセラートップ10に一年近く入るほど売れていました。

 さて、この小説(映画)は19世紀末の、まだ封建的な空気が残るメキシコ北部の村が舞台です。末の娘は結婚しないで親の面倒を見ないといけない、という古い風習のために愛する男と結婚出来なかった娘とその恋人。男は、その娘の傍に居たいという一心で、なんと彼女の姉と結婚して彼女の家にやって来ます。愛し合っているのに、他の家族の手前、それを隠し通さないといけない二人。娘は子供の頃から料理番の老女に仕込まれた得意の素晴らしい料理で、愛する男に思いを告げ、魅了するという話でした。

 スペイン語の"PENETRAR"という単語は「浸透する」とか「侵入する」という意味で、スラング的に、男性の側からの視線での性行為を指すことがありますが、その動詞を使って、そのインタビューの中でラウラさんはあの小説に込めたメッセージを説明していました。「男性は肉体的に(時には力ずくで)女性を"PENETRAR"することが出来るが、女性は料理を通して男性を"PENETRAR"することが出来る。」

 思えば、アメリカ合衆国は、戦争に勝ってメキシコからテキサスやカリフォルニアなど六つの州を奪いましたが、それらの州では、未だにメキシコの料理のほうがアングロアメリカ的な料理よりも人気があるのではないでしょうか?つまりアメリカはメキシコを力ずくで"PENETRAR"したけれども、食文化という点ではメキシコのほうがアメリカを"PENETRAR"しているということですね。もっと言えば、旧大陸からやって来てアステカの都を"PENETRAR"したスペインの男達が、アステカの女達に"PENETRAR"されたから、とうもろこしや豆、唐辛子、トマトなどアメリカ土着の食材をを主原料とする今日のメキシコ料理があるのです。

 そう考えてみると、先日、サルシータの料理をマジカルと表現した、あのカリフォルニア出身の白人男性、現代の国際ビジネスシーンでばりばり活躍していそうなあの彼も、実は遠い昔のアステカの女性達に"PENETRAR"されていたんですね。

 

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2007年3月 1日 (木)

メキシコ料理の魔法

 先日、来店されたあるアメリカ人のお客さんと話していた時のこと。彼はサルシータの料理を大変気に入ってくれたようで、こう言われました。"Your food is magical."

アメリカ人は大袈裟だからなあ、とその時は内心そう思ったのですが、改めて考えてみると、店で料理を作って味見をした時に魔法にかかったような感覚を覚えることが、確かにあるのです。例えば、店で余って硬くなってしまった牛肉の煮込みの肉をやはり余りのサラダ用の野菜とメキシコの唐辛子のドレッシングで和えて口にして、その予想を裏切る美味しさにびっくりした時、或いは鶏肉と野菜の旨みいっぱいのスープにライムを搾りいれて、最後にほんの一つまみのオレガノの香りを纏わせた時、そして、鶏肉をメキシコの唐辛子とナッツと果物、それにチョコレートを加えた複雑な味のソース「モレ」で煮込んで、最後のひと塩で全ての材料の味と香りが渾然一体となって立ち上がって来た時に。

 ぼくは、ちゃんと料理の修業をしたわけではないし、料理人としてさして才能があるわけではありません。そんなぼくの料理でも魔法のように感じて頂けたとしたら、メキシコ料理自体に、そんな魔術的なところがあるからではないしょうか。

 かつて、作家のガルシア・マルケスが、自分の小説が魔術的と評されていることに対して、「自分の小説に出て来る不思議に見える現象、例えば、屋根に座っていた子供が、ハリケーンに空高く舞い上げられることなんか、実はリアルな話で、カリブの世界では珍しくないことなんだ。」みたいなことを言って反論していましたが、ぼくも似た心境になりました。「メキシコ料理の世界ではこんな不思議なような美味しさは当たり前のことなんですよ。」

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