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2007年1月

2007年1月24日 (水)

あるある大辞典

 いま、人気TV番組「あるある大辞典」のデータ捏造問題が世間を賑わせていますね。

 それで、思い出したのですが、数年前にあの番組にアボカドが取り上げられたことがあって、それ以降、アボカドの売上げがぐんと上がったと市場のおじさんが言ってました。アボカドが、健康に良いというのは、捏造でなく真実であって欲しいと願うばかりです(笑)。

 ところで、ぼくも、数回、テレビの取材を受けたことがありますが、その度に思うのは、いつも「初めから結論ありき」だな、ということです。つまり、取材で分かったことを基に番組を作っていくのではなく、初めにこういう流れでこういう結論にしようというのが決められていて、それに沿うように番組が構成されていく、という感じですかね。だから、実際に取材の時に、いろいろなことを喋っても、流されるのはその番組にとって都合の良いほんの一部分だけなんですよね。現場に来るのは、下請けの製作会社の人たちで、とにかくテレビ会社が求めている(視聴率が上がる)ようなものを作ろう、という感じでした。

 そんな風に番組が作られているのだから、今回の事件もあまり驚かないですね。

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2007年1月21日 (日)

スリーアミーゴス

今朝の産経新聞の記事に、メキシコ出身でハリウッドで今、活躍している映画監督の3人、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリティ、アルフォンソ・クアロン、ギジェルモ・デル・トロが関係者の間でスリーアミーゴスと呼ばれているという記事が載っていました。実際、彼等は互いに仲が良く、アメリカ人の俳優達からも、受けが良いらしいです。そして今年のアカデミー賞では3人揃ってノミネートされているとか、、、素晴らしいですね。

 スリーアミーゴスと言えば、ぼくがアメリカに住み始めて間もない頃にそういう名前の映画がヒットしていました。20年近く前なので詳しい内容は忘れてしまったけど、売れないハリウッドの役者3人がメキシコの小さな村に行って悪い奴等と戦う羽目になる、みたいな筋でしたよね。アメリカでとっても人気のあるコメディアン、スティーブ・マーティンらが出ていたコメディ映画でした。その時は気付かなかったけれど、今から思うと、あの映画はクロサワの「七人の侍」のパロディだったんですね。

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2007年1月18日 (木)

メキシカン ホール オブ フェーム

 突然ですが、サルシータのトイレを「メキシカン ホール オブ フェーム」にすることに決めました。冬になって、お客さんのコート類をかけるフックを増やすために、壁の写真類をトイレに移動していて、ふと思いつきました。

 ぼくがカリフォルニアからニューヨークへ移住した1989年の夏に、ニューヨークで、スパイク・リー監督の"Do the right thing"という映画がとても流行っていて、その中で、ブルックリンでピザ屋を営むイタリア系の白人、サルが店の壁にイタリア系アメリカ人の有名人(よく覚えていないけど、フランク・シナトラやジョー・ディマジオだったかな?)の写真をたくさん飾って、「イタリアン ホール オブ フェーム」にしていたのを思い出したのです。それを見て、トラブルメーカーの黒人が、「ここはブラックのネイバーフッドなんだから、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアやマルコムXの写真を飾れ!」とイチャモンをつけていましたね、そういえば。確かリーの演じる主人公のガールフレンドがプエルトリコ系で、彼女の誕生日にルベン・ブラデスの穏やかな曲をラジオにリクエストして、それをストリートでニューヨリカンの少年達が聴いて和んでいたら、通りかかったでかい黒人がでっかいラジカセでパブリックエナミーの攻撃的なヒップホップの曲,"Fight the power"を大音量でかけて妨害するというシーンもありました。他に韓国人の八百屋や

白人の警官が出てきたりと、まさに人種のるつぼの暑ーいニューヨークの夏の日を鮮やかに描いた傑作でしたね。あの作品がアカデミー賞に選ばれなかった時に、スパイク・リーが"We was robbed!"と黒人独特の言い回しで怒りを表明していたことまでも思い出してしまいた。

 話が逸れました。すでにサルシータのトイレには、フリーダ・カーロ、パンチョ・ビジャ、エミリアーノ・サパタ等の写真が飾ってありましたが、今日、往年の名女優マリア・フェリックスがメキシコ映画黄金期の名作「エナモラーダ」の1シーンで土鍋から大きな木のスプーンでモレを味見している写真を入れました。これから毎週一人のペースで増やしていって、トイレをメキシコの有名人だらけにする計画です。 乞うご期待!

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2007年1月17日 (水)

ラテンにキスせよ

ラテンアメリカ文学の翻訳者、野谷文昭さんのエッセイ集「ラテンにキスせよ」はたまに本棚から取り出して読み直してしまう本です。そして、その度に何か発見があるんですよね。

 この前の日曜日も、ふと手に取ってみたら、ぼくが前から興味を持っていた17世紀のメキシコの尼僧ソル・フアナ・イネス・デ・クルスの、オクタビオ・パス(メキシコの詩人、評論家 ノーベル文学賞も取った)による伝記がとても面白いとあって、でもこんな本、誰か訳す人いるのかなあ、なんて書いてありました。もしかして?と思ってアマゾンで調べてみたら、なんと去年に日本語に翻訳されて出ていました。これです。値段の高さにもびっくりですが、初めからちょっとしか売れないのが分かっているので高くせざるをえないのでしょうね。よほどのマニアしか買わないんだろうな。今度の長い休みにはこれを読もうかな。

 それから、南米旅行中に英語版を少しずつ読んで堪能した、ぼくの大好きなガルシア・マルケスの小説「コレラの時代の愛」も和訳が出ていましたね。

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2007年1月16日 (火)

愛国心 続き

 そう言えば、昨日書き忘れたのですが、ある雑誌で作家の福井晴敏さんが、こんなことを言っていました。「愛国教育は必要無い。その代わり、小学生レベルから戦争教育を行って、国際政治のリアリズム、世界ではどんな残酷なことが起きているのかを徹底的に教えれば、それで良い。」

 さすが、鋭いですね。確かにそうすれば、世界の中でいかに自分達日本人が恵まれているかに、気付くだろうし、こんな恵まれた国を他の無法な国から護るにはどうすれば良いかを、嫌でも真剣に考えざるを得なくなるだろうな、と思いました。ただ、小学校からというのは、ちょっと早過ぎるような気もしますが、、、というか、その前に大人からか、、、

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2007年1月15日 (月)

愛国心

 安部政権が目指している教育基本法の改正で、児童に愛国心を植え付けることを目標の一つにしていますが、そう言えば日本人は他の国に比べて愛国心が希薄だなと思います。そう言う僕自身、愛国心と言われると、ちょっと身構えてしまう、というか素直に受け取れないところがあるのですが、これは先の戦争の時に若者達を戦場に駆り立てる戦意高揚ために日の丸が使われ過ぎたことに対する反動や、日米安保条約の下に他の国に守ってもらっている、自立していない国だからということに起因していると思います。

 しかし、海外で暮らしていて思ったのは、自分の国を愛していない人はいない、いたとしても、そういう人は他の人から相手にされない、ということです。例えば、それぞれ違う国から来た3,4名のグループとかで話をしていたとして、どうしても自分は日本人だということが他の人からは前提になる、つまり日本代表のような目で見られているわけで、そんなときに自国を愛していない、などというと、その場がとてもしらけてしまうんですよね。

 その点、メキシコをはじめとするラテンアメリカの人たちは(自分の国がどんな状態であろうと)屈託無く愛国心を表明していて羨ましく思えました。これは、やはりカトリックの国という側面が大きいと思います。何故かというと、カトリックは家族を大事にするからです。家族というのは、人にとって最小の社会(コミュニティ)なわけで、そこから派生する父、母、兄弟への愛が、彼等の関わる知人への愛へと広がり、そのコミュニティの輪が学校、会社、町、市、県、国と広がっていくと自然に愛国心へと繋がるからです。

 その点、アメリカ合衆国の場合は、確かに愛国心はすごくあるのだけれど、移民の国だからでしょうが、常にアメリカは自由と平等の素晴らしい国だということを、政府が事あるごとに言っていて、上から押し付けている、教育という面でも小さな時から摺りこまれているな、という感じを受けました。

今の安部さんのやり方は、アメリカ合衆国に近いですよね。「美しい国」を愛せ、と教育で教えようというような(彼の内閣からは美しくない醜聞が次々と出ていますが)。しかしどちらかというと、ラテンの国のような自然発生的な愛国心の持ち方がやはり理想ではないでしょうか?「愛国心を持て」と上から言うよりも、家族を大切にするということをいろいろなところで訴えていけば、それが自然に愛国心を持つということになると思いますよ。

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2007年1月10日 (水)

La salud de uno es mas importante de todo

つまり、健康が一番大切だということです。この言葉はサルシータがオープンして間もなくの頃、風邪気味で調子悪いなあ、と言いながら働いていた時に、当時一緒に働いていたコロンビア人の女の子に言われたものです。その時は、まだ、お店も不安定で、ただ、しゃかりきに頑張るしかない、という時期で、そんな言葉もハイハイと、軽く聞き流していたのですが、最近になって、本当にそうだな、と思うようになりました。

 なんせ、僕らの仕事は体が資本ですから、でもその割りに長時間の肉体労働で体を酷使しているんで、長く続けるためには健康に気を遣わないといけないな、と思う今日この頃です。働けなくなったら、次の日から収入無しですからね。朝から深夜まで働いた後に夜の街に遊びに行っていた20代の頃の体力は既に無いし。

 思えば、ぼくもあの小説「メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか」の主人公、人生に絶望してニューヨークで自殺を図った、薄毛の冴えない中年の調理師タカハシさんの年齢に近くなっているんですよね。メキシコ料理を食べているお陰か、髪は薄くなっていないし、彼のように、まだ女房子供に見捨てられていないけど、ぼくもニューヨークでのレストランで働いていたからか、彼には妙に親近感を覚えてしまいました。

 今年もメキシコ料理を食べて健康に過ごすぞ!

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2007年1月 9日 (火)

世界で一番美しい歌

世界で一番美しい歌

                            ホアキン サビーナ

俺は持っていた。

穴の無いボタンと蚕、サーカスのピエロの靴の片方、

売りに出ていた魂を一つ、虫歯だらけのスペイン語のオリベッティ、

時刻に遅れた列車、アトレティコの証明書、グラスの底の顔を

償いの学校、コンパス、丸テーブル、一粒の胡桃、

相棒のあばら骨が欠けたアダムの咽喉仏、

糖尿病の自転車、積雲、巻き雲、成層圏

バルタサール王の駱駝、雄猫のいない雌猫

俺のアニーホール、俺のジョコンダ、俺のウエンディ、ファーストレディ達、

俺のカンティンフラス、俺のボラ ニエベ、俺の三銃士、

俺のティンティン、俺のヨーヨー、俺のアスレテ、タロットカードの七番目の盃

服を一枚も脱がさずに君を裸にした玄関のロビー

俺の隠れ家、俺の高いキー、俺の腕時計、

山高帽の中のアリババのランプ、

春が1秒も続くなんて思いもしなかった。

そして、俺は世界で一番美しい歌を書きたいと思った。

君達に、ろくでなしの俺の爺さんを紹介しよう。

それから、俺の独り身の女房と外国の軍隊から俺に名前をつけた名付け親を

俺の双子の兄、行商人の親分、唄うたいの甥っ子を持った海のシンドバッドを

あばずれの従姉妹のカルロッタと彼女のダックスフンドを

災厄から身を護るための俺の甲冑も

吹き出物だらけの小僧が夢で追いかける蝶々

夢の中でミロのビーナスを抱きしめたとき、彼女に腕が無いことに気付く

馬鹿らしい金儲けの話から自由になった俺は

白鳥の歌の学校で教鞭を取った。

シレーネのシモンと一緒にカルバリオ山に旅に出た。

アデリータがもし兵站隊長と出かけてしまったら、君はどうするんだい

希望が殆ど無くなって、白旗を掲げた  

もし俺の目が見えなくなったら、待ち人リストから探してくれ

死にかけの流れ者からラムを1瓶譲り受けたが

深い昏睡状態から戻るとき、あの戒めを忘れてしまった

今まで全く唄えずにいたのだが、、、

海の涎の歌、血管の中の稲妻の歌

泣くに値するときに流す涙の歌、

世界を放浪する者達の妊婦のように膨れ上がった落書き帳の1ページを

怒り狂った者どもの聖歌を書き記すインクの1滴を

そして、俺は世界で一番美しい歌を書きたかった。 

前にも書いた工藤美千子さんの「黄昏の詩人」という本の中に出てくる話で、堀口大學がこんなことを言っていたらしい。

 「詩を読んでいるうちに好きで好きでたまらない作品に出逢う。それを繰り返し読んでいるうち、自分の内部に欲情が湧いてくる。美女をわがものにしたいと男が思うのと同じ欲情だ。詩をわがものにするには、原作の着ているフランス語の着物を一度脱がせて、それに自分の言葉の着物を着せる。」

 さすが、「私の耳は貝のから、海の響きをなつかしむ。」などの名訳を残した大學らしい名言ではないですか?

そんな言葉に触発されて、ここ数年で何故かとても気に入って何度となく聴いている、スペインの不良オヤジ、ホアキン・サビーナの歌の歌詞を訳してみました。

相変わらず、よく解らないけど、すっきりした!

因みに、スペイン語のオリジナル歌詞はこちらです。

 

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2007年1月 7日 (日)

メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか

 昔、ドリアン助川という名前で「叫ぶ詩人の会」というバンドをやっていた、明川哲也さんの著書、「メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか」という小説を読みました。

 昨年、子供達の自殺が世間で問題になっていた頃、アマゾンで見つけて、取り寄せていたのだけど、650ページもある長編なので正月休みにゆっくり読もうと思っていたものです。

 ニューヨーク在住の、ある冴えない日本人のコックが自殺しようとしていたら、あるネズミ達に救われ、彼等に導かれるままに現代の悩み多き人類を救うための宝を探す旅に出る、、、という冒険ファンタジー小説です。そして、その行き先が、興味深いことにメキシコなのです。ちょっと、ミステリーっぽいところもある小説なので、内容について、余り書くのはやめますが、とても面白かったです。

 タイトルにあるように、メキシコ人の自殺率は世界最低(これって最高?)で、西洋人や日本人にも多い禿げ頭が殆どいないという事実があるのですが、これの原因が、実は彼等の食生活に密接に関係していた、、、ということだけ明かしておきましょう。つまり、メキシコ人のような食生活をしていると、ストレスが溜まりにくく、禿げにもなりにくいんですね。そして、メキシコ人の自殺率の低さの原因について、ぼくなりに考えてこのブログでも書いていたのと同じ見解が、最期のあと2ページというところで語られていて、びっくりしました。

 メキシコ料理を作ることを生業としている僕には、自分の職業に新たな価値を付加してくれるような、勇気を与えられるような本でした。思えば、去年の正月には「キッチン コンフィデンシャル」という本に勇気を与えられましたが、今年もこれで、頑張れそうです。

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2007年1月 4日 (木)

ヨ・テ・キエロ

 このブログで初めに取り上げた「悲劇週間」を読んで以来、詩人の堀口大學に興味を持って、彼に関する本を読んだりしているのですが、彼の父である堀口九蔓一にも、とても魅力を感じています。戊辰戦争で父を亡くした九蔓一は、教育熱心な母に育てられ、猛勉強して日本でも最初の外交官の一人となり、韓国、メキシコ、ブラジル、スペインなどへ、大使として着任しているのですが、とりわけ、スペインがお気に入りだったようで、スペイン語に関するこんな記述を残しています。先日、読み終わった、工藤美代子著「黄昏の詩人 堀口大學とその父のこと」という本からの孫引きですが、紹介します。

 例へば、英語の「アイ・ラブ・ユー」は明快で、どことなく事務的で几帳面な感じがする。これはどうしてもアングロ・サクソンのやうな實利主義的な痩せた人種の愛の表現法である。

 ドイツ語の「イッヒ・リーベ・ヂッヒ」は何か知ら厚ぼったい感じがして、丁度豚の腸詰でも頬張っている人の戀の表現法である。

 フランス語の「ジュ・テーム」は輕快に手っ取り早く自分の考へを云ひ表はすには適當な表現法ではあるが、しかし何となく輕はずみで、無造作で、有難味が少ないやうな感じがする。

 ところが、西班牙語で、「アイ・ラブ・ユー」に當る「ヨ・テ・キエロ」は、嗚呼何んと熱烈な表現法であることよ。直譯すれば「私はお前が欲しい」と云ふのである。なんとまあ、張りがあって眞劍味で、そして如何にも熱烈であるではないか?

 いかにも、明治時代の知識人といった、ちょっと硬い文章ですが、さすが、詩人の父(本人も漢詩を書いていましたが)らしい感性の豊かさを感じます。工藤美代子さんは、九蔓一にベタ惚れのようで、「明治時代の日本に、こんな国際化されたスマートな男性がいたのかと、まずは驚かされた。それと同時に、九蔓一は日本男児の持つ全ての美点を備えており、かつて日本の男はこれほどまでに自信に満ちあふれ、情を解したのだと私に教えてくれた。」と書いています。現代の日本男児には、ちと耳が痛い発言ですね。

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2007年1月 2日 (火)

SALUD! DINERO! AMOR!

新年を迎えて、祝杯をあげている方も多いと思いますが、、、

 さて、スペイン語で「乾杯」は"SALUD!"(サルーッ)とやります。SALUDは、もともと健康を意味する言葉なので、お互いの健康を祈ろうという意味がここに込められているということなんでしょう。

 年末になると、必ず店でかけるCDに、グロリア・エステファンの"ABRIENDO PUERTAS"(扉を開けて)というのがあって、クリスマスから新年にかけてての季節の歌が多く入っているのですが、その中の曲の一節に"Que el año nuevo te de amor、 salud, dinero y felicidad"というのがあって、「新しい年に、あなたに愛と健康とお金と幸福が訪れますように」という意味なのですが、それを聴いて、昔、友人のメキシコ人に教えてもらったことを思い出しました。メキシコでは、"SALUD!"の後に、"DINERO! AMOR!"とやることもあるというのです。DINEROはお金、 AMORは愛のことで、この三つが人生に於いて最も大切なものだから、ということでした。若かった僕は、その時、健康が一番初めにくるのは解るが、その後の、お金、愛という順番には、情熱的なラテンのイメージと違うなあ、という違和感を覚えたものでした。

 でも、時が経ち、今になると、その順番に納得しています。「お金なんて二の次、大切じゃない。」なんていう人は、たいてい、本当にお金に苦労したことが無い人でしょう。メキシコを初め、途上国には毎日の糧を得るために苦労している人が沢山います。そんな人の前で、そんな台詞は、吐けないですよ。

 

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¡FELIZ AÑO NUEVO!

 新年あけましておめでとうございます。昨年の8月の終りに始めたこのブログも、はや、4ヵ月あまりが経ちました。副題に「平凡な日常をラテンのパースペクティブで斬る!」なんて、勢い余って付けてみたものの、なかなか思ったようにいっていないことを反省しています。頭の中にはいろいろな思いが渦巻いているのですが、それを、さらっと解りやすい文章にすることの難しさ、というか自分の文才の無さを痛感いたしました。

 さて、新しい年ですが、今年の目標は、自分の店である「サルシータ」をもっとレベルアップして、メキシコ料理の素晴らしさをもっと多くの皆さんに知ってもらうことです。今の段階でも、お客さんには、だいたい、満足して頂いているとは思っています。常連のお客さんも多いのですが、まだまだ、殆どの方はメキシコ料理のことを誤解されているな、本物をご存知ないな、と年々実感させられているのも事実だからです。

 メディアや大手フードチェーンなどによって垂れ流される、本物とは遠く離れているメキシコ、及び、メキシコ料理のイメージを少しでも覆して、一般の方が、「今晩、何食べる?」と考えたときに、和食、中華、イタリアン、フレンチなどと対等にメキシコ料理も自然に選択肢に入るくらいにしたいというのが願いです。勿論、大変遠い道のりであるのは分かっていて、自分の力だけでは、全く足りないというのも自覚しております。なので、同じような考えを持っている方達を、もっと増やして、共に頑張っていけたらよいなと思っています。

 何はともあれ、今年も宜しくお願いいたします。

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