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2006年12月

2006年12月25日 (月)

¡FELIZ NAVIDAD!

メリークリスマス!

今年は珍しくクリスマスイブが定休日の日曜日だったので、家族と過ごすのんびりしたイブになりました。例年だと、この日は忙しく朝から深夜まで働いているので、なんだか不思議な気分です。でも、考えてみると、これが、本来の正しいクリスマスの過ごし方なんですよね。日本だと、やたらカップルばかりのためのようになっていますが、、、

 ぼくは、一度だけ、メキシコでクリスマスを過ごしたことがありましたが、やはり、家族で過ごす平和なものでした。メキシコでは12月16日から24日までの期間を"POSADA"(ポサダ)といって、盛大にクリスマスを祝います。市場には、この時期、キリストの生誕の場面を再現する"BELEN"(ベレン)と呼ばれる飾りに使う人形や小物が売られています。これらを買って来て、それぞれの家庭でイエスが生まれた馬小屋やヨセフやマリア、東方の三賢人、赤ん坊のイエスなどの人形を箱庭に並べて再現します。面白いな、と思ったのは、そこに集まってくる動物達で、牛や羊が居るのは分かるのですが、アメリカ大陸原産の七面鳥まで居たことです。本当は矛盾しているのですが、すっかり土着化させていることに感心しました。

 それから、夜になると、イエスが生まれる前にマリアとヨセフが宿を探して歩いたことを倣って、子供達が隊列を作って近所の家を巡り歩き、家の中の人と掛け合いの歌を歌います。「どうか、一夜の宿を。」と頼んで、初めは警戒されて拒まれるが、神の子が生まれそうだと説得されて、最後は門を開けるというものです。門が開けられると子供達は中に入り、ピニャータと呼ばれる張りぼての人形を棒で叩いて割ります。この中にチョコレートやキャンディが入っていて、落ちてきたのを皆で取り合って食べるのです。

 "NOCHE BUENA"(ノーチェブエナ)と呼ばれるイブの夜は、家族で集まって、りんごとビーツ、それからヒカマと呼ばれる大根と梨の中間のような感じの植物で作ったサラダや七面鳥の丸焼きを食べて、ポンチェと呼ばれるハイビスカスの花とタマリンドを煮出して、たくさんの果物を入れた温かい飲み物を飲みます。南国とはいえ、標高の高いメキシコシティの夜はけっこう冷えますからね。デザートは"BUÑUELO"(ブニュエロ)と呼ばれる平べったいドーナッツのようなお菓子が定番です。

 それから、近所に住んでいる親戚を訪ねに行ったり庭で音楽をかけて踊ったりしていました。ぼくが泊まっていた家でも、この日ばかりは、日頃、あまり仲が悪かったお父さんと娘婿が仲良く楽しそうにしていましたね。

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2006年12月18日 (月)

ビクトル・ハラ

 ピノチェトの訃報を聞いてから、思い出したように、チリ出身の自作自演の歌手、ビクトル・ハラのCDを引っ張り出して聴いている。ハラという名前から、初めは日系の人なのかと思ったけど、そうではなかった。今年、盗作問題で話題になったイタリア人の画家の名前がハラさんだったから、実はイタリア系だったのかもしれない。

 それは、さておき、、、当時、ヌエバカンシオン(新しい歌)と呼ばれたプロテストソングを多く作り、歌い、チリの脆弱な社会主義政権を支持していた彼は、クーデターの際に他の多くの仲間と共に捕らえられ、サンチアゴのフットボールスタジオに拘留された。そこで、落ち込んでいる仲間達を励まそうと、制止を振り切ってギターを取り上げて歌いだしたため、、拷問されて殺されたらしい。享年34才だった。 この辺りのことは、五木寛之さんの小説「戒厳令の夜」にも書かれている。

 初めて、彼の曲を聴いたとき、その素朴なんだけど人の心を捕らえる歌声に魅了された。"TE RECUERDO AMANDA"「アマンダの想い出」というその曲は、青春期の女性のきらめくような美しさを映像的に切り取った歌だった。彼は歌いだす前は演出家として演劇をやっていたそうで、その才能が彼の書く詞には現れていた。激しいプロテストソングも歌ったが、"CUANDO VOY AL TRABAJO"「仕事への道すがら」とか"PEREGARIA A UN TRABAJADOR"「耕す者への祈り」など、彼の書く歌には庶民の生活に根ざした温かい視線がいつも感じられた。彼のそういう面が僕は好きです。

 そういえば、ちょっと前にアントニオ・バンデラス主演でハラの伝記的な映画を作るという計画があると何かの雑誌で読んだ気がしたけど、どうなったのだろうか?そうなれば、美形ではないが、意志の強さと人間的な暖かみが出ているマスクの彼のことがチェ・ゲバラのように有名になるのかな?と思ったのだけれど。そういえば、バンデラスは昔に、クーデターで倒されたサルバドール・アジェンデ大統領の姪の小説家イザベル・アジェンデの代表作「精霊の家」の映画に出ていましたね。

ビクトル・ハラについての詳しいサイト homepage2.nifty.com/akanotama/jara/index.html

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2006年12月16日 (土)

ピノチェト死去

 ちょっと遅くなりましたが、去る10日(皮肉にも世界人権デーに)に南米チリの元大統領のアウグスティン・ピノチェトが死去しました。

1973年、陸軍の将軍の時に、3年前に世界で初めて選挙によって選ばれた社会主義政権だったサルバドール・アジェンデ大統領をクーデターで倒し政権を掌握、反対派を徹底的に弾圧して、16年に渡って君臨した独裁者でした。彼によって、政治的な理由で殺害されたり行方不明になった人は3000人、拷問を受けた人はその10倍にものぼると言われています。そして多くの人が祖国を追われ、スペインやメキシコなど、他の国に亡命を余儀なくされました。

 あのクーデターに付いてはアメリカのバックアップがあったことを、パウエル前国務長官が、「不名誉な歴史」として認めています。当時は東西冷戦の真っ最中で、アジェンデたちによる、平等な社会を作るという実験を容認する余裕は無かったのでしょう。個人的には、その結果が見てみたかったと思いますが、それは許されませんでした。

 アメリカの支援を受けたピノチェトはアメリカの経済学者フリードマンが提唱した新自由主義経済を推し進め、表向きは国の経済を立て直しましたが、その結果、更なる大きな貧富の差も生み出しました。そして、今、南米全体に広がったそんな格差社会への揺れ戻しとして、あちこちの国で左翼的な政権が登場しています。ブラジル、アルゼンチン、ボリビア、エクアドル、そしてベネズエラとその波は広がり、メキシコでもこの前の選挙でその寸前まで行きました。かつて、「アメリカは巨大なタコのように何本もの足でラテンアメリカの国々を締め付ける」と小説「ブエノスアイレス事件」の主人公に言わせていたのは、アルゼンチンの作家、マニュエル・プイグでしたが、イラクやイラン、北朝鮮に手間取っている今、ラテンアメリカまで、その足がまわらなくなったのでしょうか。

 

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2006年12月14日 (木)

オアハカは今、、、

 忙しくて、あまり情報を集めてなかったのだけど、やっぱり、今メキシコ南部の州、オアハカは大変なことになっているようです。詳しくはこちらを。

オアハカはメキシコに行けば必ず立ち寄る大好きな場所だけに心配です。夏に行われた大統領選挙でも、疑惑の結果で大混乱していたみたいだし、メキシコの政情はとても不安な様相を呈していますね。

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2006年12月11日 (月)

超・格差社会

 日曜日の朝5時から、J-WAVEで、中学校の一年先輩のモーリー・ロバートソンさんが、世の中のいろいろな動きについて縦横無尽に喋っている番組がある。時間が時間だけに、なかなか聴けないけど、モーリーさんはとても博識な方で鋭い分析をするので、起きていたら必ず聴くようにしている。

 先週の土曜日は、とても忙しくて、仕事が終わったら深夜の3時半。家に帰って風呂に入って、夜食を食べて、ぼーっとしてたら5時になったので、ラジオをつけた。この日、モーリーさんは、先週半ば頃に発表された、「世界の人口の1パーセントが世界の資産の4割を保有している。」という、ある北欧の国の機関がまとめた調査結果について話していた。

 この調査については、ぼくも新聞で読んで知っていたけど、特に驚きもしなかった。世界のいろいろな国のいろいろな場所に行ったので、そういうひどい貧富の差というのは、既に実感済みだったので。それから、彼は、世界にさまざまな紛争が起こる原因として、宗教とかテロとかを挙げへつらう人達がいるが、一番の根源的な原因は、この恐ろしい貧富の格差なのではないかと続け、これは、ぼくが常日頃から考えていたことだったので、「さすが、モーリー先輩、わかってるなあ。」と思いました。

 続きがもっと聴きたかったのだけど、眠くなってしまい、何かの曲がかかっている間に眠りに落ちてしまいました。曲なんか、かけないでずーっと喋ってくれたら寝ないのに、FM放送だからそういうわけにはいかないんでしょうね。途切れ途切れの記憶にあるのは、先輩が、中南米の国々における貧富の差の話をしていて、ブラジル映画「シティ オブ ゴッド」について話していたこと。実話を基にした、ブラジルのリオのスラム街での少年ギャング達の抗争の話だったけど、恐い映画でしたね。

 実は日曜は体調が優れなくて、ずっと布団の中にいたんですけど、そうすると、寝る前に聴いた、この超・格差社会のことについて、感じていた、いろいろなことが白昼夢のようにフラッシュバックしてきました。

 ぼくが、半年に渡る南米旅行を終えて、ニューヨークの寿司バーで働いていたときに、リオのカンデラリア教会の前で10名くらいの子供達が身元を隠した警察隊に銃殺される、という事件がありました。子供達は、親から見捨てられたストリートチルドレンで、この教会のそばで共同生活をおくっていたのでした。真相は、明らかにされませんでしたが、麻薬や犯罪の温床となるのを恐れた人達が金を払って警察に”掃除”させたという噂がたちました。数年後、リオの市バスを1人の麻薬中毒の若者が乗っ取り、乗客を人質に籠城して、結局、警察に鎮圧されましたが、1人が犠牲になり、犯人も殺されるという事件がありました。事件の模様をあらゆるメディアが実況中継するという、劇場型犯罪になったこの事件を追ったドキュメンタリー映画を見ましたが、シングルマザーの家庭で育ったこの犯人は、子供の頃、母親が強盗に殺されてストリートチルドレンの仲間に入り、あのカンデラリア教会の事件の時には現場に居合わせたが、運良く逃げることが出来たのでした。

 日本では、通りで物乞いをしたりする子供は居ませんが、ブラジルに限らず、ラテンアメリカの国々には、こういうストリートチルドレンたちはたくさん居ます。彼等のことを、その映画に出ていた、ある社会学者は「透明な存在」と言っていました。子供が学校にも行かずに、通りで物乞いをしたりするのは、本当は異様な光景なんだけど、それが余りにも日常的になってしまった結果、見えていても、見えていないように、無視されてしまう「透明」な存在だ、ということです。それが、ああいう事件が起きると、皆、それに注目しざるを得ないようになる。だから、彼等は彼等の存在を認めさせるために、突発的にああいう事件を起こす、と。

 先進国にも、格差は広がっています。最近、「超・格差社会 アメリカの真実」という本が出ていましたが、昔、見た、ある異様な光景を思い出しました。ある晴れた日の朝のニューヨーク、マンハッタン、割と富裕層が住むアッパーウエストサイドから、もっとリッチな人達がいるイーストサイドに向かうバスを待つために列を作っている、10数人の上品な服を着て立派な鞄を持った人達。その歩道とビルの間に、一段低くなっている隙間があって、そこでは段ボールの家から起き出した数人の黒人男性が上半身裸で虚ろな目をして立っていました。その風景が異常に見えないという異常さ。バスを待っている人達にとって、あのホームレスの男達はきっと「透明な存在」だったのでしょう。

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2006年12月 7日 (木)

宝くじ

 いつも通る買い物ルートにみずほ銀行があって、今日、通りかかったら、年末ジャンボ宝くじを何人かの行員が大声を張り上げて売っていた。

 ぼくは、宝くじなんか、買ったこともないし、これからも、多分、買わないだろう。あまり、自分には、くじ運が無いというのを分かっているので。それと、昔、アメリカで行っていた学校のリーディングの教材で、宝くじの売上のうち、賞金に廻されるのは、たったの半分強だ、くじを買うのは殆どが低所得者層なので、これは、言ってみれば、貧乏人へのもう一つの課税のようなものだ、という内容の記事を読んで、すっかり興醒めしました。

 もちろん、その記事は、アメリカの宝くじの話で、日本にも当てはまるとは限りませんが、まあ、大差ないんじゃないかと思っています。博打は胴元が一番儲かると言いますが、貧乏人が必死で稼いだ金で、胴元のみずほ銀行がホクホクしてるんじゃないの?だから、売り込みにも力が入るんだろうな。

 宝くじで、思い出すのが、スペインの街角で、くじを売っていた目の不自由なおじさんたちのやる気なさそうな声。あの独裁者、フランコ将軍が全盲の人に就職の機会を与えようと彼等に宝くじ売りの仕事を斡旋したので、スペインの宝くじ売りは盲目の人ばかりでした。"¡Compra loteria! ¡Toca gordo!"(宝くじを買いな!大きいのがあたるよ!)とか怒鳴っていたけど、一本調子であまり商売気が感じられなかったなあ。でもあれくらいがちょうど良い気がします。

 そんな調子のスペインの宝くじだったけど、やっぱり儲かるみたいで、トゥール・ド・フランスに出ていた自転車チームのスポンサーにもなっていました。ピンク色に"ONCE"(ORGANIZACION NACIONAL DE CIEGOS ESPAÑOLES:スペイン盲目者協会)と書かれたジャージを着ていて、けっこう強かったです。盲目の人達の団体が視力の良さが要求されるレースのチームを持っている、というところにスペインらしいシュールさを感じたのを覚えています。さすが、ダリやブニュエルの国ですね。

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2006年12月 4日 (月)

¡Tengan fe!

 サルシータに来られるお客さんは、殆ど皆さん、うちはいつも忙しくて予約無しでは入れない、と思われてるようですけど、本当は暇な日だってあるんですよ。

 まあ、開店当初のように、全くお客さんが来なくて途方に暮れる、ということは無くなりましたが、何せ、細々とやっている個人経営の店なんで、暇な日が二日も続くと、けっこう心細い気分になるもんです。そんなとき、自分に言い聞かせているのが"¡tenga fe!"という言葉です。feというのは多分に宗教的な意味合いを持つ言葉で信仰とか信念という意味です。英語だと"faith"ですね。tengaというのは「持つ」を意味する"tener"の命令形なので「信念(信仰心)を持て!」というような意味です。

70年代から80年代にかけてニューヨークで一世を風靡したパナマ出身の自作自演のサルサ歌手、ルベン・ブラデスは、ハーバード大学のロースクールを卒業して国際法の弁護士の資格を持つインテリで、社会的なメッセージを曲に盛り込んで人気を博しました。特にいわゆるコロニアルメンタリティに陥りがちなラテンアメリカ人の意識を覚醒させようという問題意識に富んだ曲が多いのですが、彼の曲で"¡Tengan fe!"(tenganで複数形になる。)というのがあって、「feを持て。どんなことがあってもfeを持っていれば乗り越えられる。」というような内容でした。こういう"fe"というようなキーワードはキリスト教という共通したバックグラウンドがある同胞に対しては特に強力な磁力を発揮するんだなと思います。ぼくはキリスト教徒ではないけれど、逆境にあるときはこの言葉を思い出して自分を鼓舞するようにしています。

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2006年12月 2日 (土)

郷に入れば、、、

 先日、常連のお客さんで、アメリカ人のビルがこんな話をしていました。彼は、けっこう長く日本に住んでいるのですが、この前、久し振りに家族に会いにロサンゼルスに帰った時に、以前、好きでよく食べに行っていたメキシカンレストランを訪れたそうです。しかし、驚いたことに、出てきた料理は全く今の彼の口には合わなかったそうです。そして、量が多くて、とても食べ切れなかったとのこと。やはり、日本に長く住んでいるので、味の好みも胃袋も日本人ぽくなっちゃったのかなあ、と言っていました。

「郷に入れば、郷に従え。」ではないけれど、そういうことってやはりありますよね。ぼくも、メキシコで食べて美味しかった味を再現しているつもりでも、長くメキシコから遠ざかっていると、知らない間に日本風のメキシコ料理になっているのかもしれないな?と思いました。まあ、それはそれで良いのかな、そのときの自分が好きな味を出していければ、それが自分の個性なんだし。でも、そろそろ、また、メキシコに行って、自分がどう感じるか、試したくなってきました。

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