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2006年11月

2006年11月21日 (火)

serと estar

 英語ではbe動詞と呼ばれる、「~である」という意味の動詞がスペイン語には二つあります。それがserと estarです。ちなみに、スペイン語では主語に準じて動詞の形が変わるので、ser だと、soy,eres, es, somos, sois, son に、estar だとestoy, estas, esta, estamos, estais, estanになります。

serは持続的に、或いは永久的に続く事実を表すときに使います。例えば「私は男だ」(Yo soy hombre.)とか「ホセは私の先生だ。」(Jose es mi profesor.)とか,一方、estarは変化することを前提にして、今の状態を表すときに使います。「彼女は病気だ。」(Ella esta enferma.)とか「私達はバーに居る。」(Nosotros estamos en un bar)とかです。 

そして、ぼくが前から面白いな、と思っているのは、幸せだ、という時には"soy feliz"とserを使うのに、悲しいと言う時には"estoy triste"と estarを使うんですね。ちょっと合理的でないようだけど、幸せには、ずっと続いて欲しいけど、悲しいのはすぐ終わって欲しいという願望の現われでしょうか。

 しかし、現実はその逆のようです。スペイン語とは兄弟のようなポルトガル語のブラジルの歌でこんなのがあります。"tristeza ñao ten fin, felicidade sim."(悲しさには終わりが無い、幸せには、ある。)ビニシウス・ジ・モラエス作詞、アントニオ・カルロス・ジョビン作曲のボサノバの名曲「フェリシダージ」です。

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2006年11月20日 (月)

”pues, esto es mi forma de ser”

 前々回、触れた、”esto es mi forma de ser”というフレーズは、昔、メキシコ人の若い女友達から来た手紙に書いてあったものでした。随分、前の事で、細かい内容は忘れてしまったけれど、なにか、自分の性分と周りの状況がうまくいってないようなことが書いてあって、その後、"pues, esto es mi forma de ser"(まあね,これが私ってものだから)と結んであったのでした。そんな大昔のことを、何故、未だに覚えているかというと、当時20才くらいだった彼女の、自分に対する揺らぎない自信が印象的だったからでした。

 昔、落語家の立川談志師匠が、何かの対談で、「変えれないから性格って言うんだよ。」と発言していましたが、なにか、周りとうまくいかないときに、くよくよしないで、"pues, esto es mi forma de ser"と自分を肯定することが出来るのが、見習うべき?ラテンな生き方なんでしょうね。

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2006年11月16日 (木)

自殺と宗教

 昨日、日本ではとても多い自殺が、メキシコでは非常に少ないということに触れましたが、その違いについて、もう一つの決定的な原因に付いて書き忘れていました。

 それは、宗教です。メキシコはキリスト教(カトリック)の国で、その教えには、自殺を禁ずる、というものがあります。また、その教えには人はもともと罪(PECADO ORIGINAL)を背負っていて、それを悔い改めることで救われる、という考え方があります。つまり、人は罪深い愚かな生き物である、という考え方が初めにあって、それを受け入れて少しでも良い存在になりなさい、という教えです。それに対して、ほとんど無宗教の現代の日本では、こうあるべきだ、というような理想ばかり語られすぎていて、それに達せられない焦りや、人と比べて自分は劣っているのではないか、という劣等感が、自分より弱い者に対する虐めを生んでいるのではないか、と思うのです。

 ときには、争いのもとになってしまう宗教ですが、こう考えてみると良いところもあるなと思いました。

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2006年11月15日 (水)

虐めと自殺

 この頃、何かと世間を賑わせている中高生の虐めと自殺の問題。子供を持つ親としては、気になります。

 よく言われているように、復讐のための自殺を助長するようなメディアの取り上げ方も良くないと思いますが、資本主義の世の中、しょせん、大きなメディアは、大衆の最も求めている情報を垂れ流しているに過ぎない、ということは、そんなメディアにしてしまったのも我々一般市民の責任でもあるとも言えると思います。

  しかし、よく考えてみれば、一年に3万人以上の自殺者があるという日本、計算すると、一日に100人近い自殺があるわけで、今、問題になっている若者の自殺の数も、そう考えると、決して突出して多いわけではない、むしろ、中高年の自殺のほうが圧倒的に多いという恐ろしい現実があります。

 そこで思い出したのですが、メキシコという国は自殺する人の割合が、世界で最も低いらしいです。その理由は、ぼくが推察するに、彼等の自己肯定の精神にあると思います。メキシコの人がよく口にする言葉で、”Esto es mi forma de ser"というのがあって、要は「私はこういう人間なの(文句ある?)」と言っているのですが、そういう自分を肯定してしまう精神が、今の日本人にも必要なんではないでしょうか?

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2006年11月13日 (月)

生命の樹

Cnv0004  先週の話になりますが、渋谷の「たばこと塩の博物館」で行われているテキーラの展覧会に行ってきました。

 ここに行ったのは初めてでしたが、ロゴマークのモチーフにメキシコの古代文明の、たばこを吸う神様が使われていたりして、案外、メキシコにゆかりが深いところのようでした。考えてみたら、たばこの起源はメソアメリカ(今のメキシコから中米へと続くエリア)ですもんね。塩についても、けっこうメキシコから輸入されているようですし。

 展覧会も小さいながら、テキーラの歴史や生まれた土地、製造方法などが判りやすく説明されていて、テキーラを造る道具やテキーラにまつわるアート作品などもあり、良かったです。入場料もたった100円ですしね。

 それと、大きな収穫はメキシコの民芸品で昔から欲しかった「生命の樹」(ARBOL DE LA VIDA)をミュージアムショップで買えたことです。この「生命の樹」というのは、もともと、旧約聖書に出てくる話がメキシコに土着化したもので、いろいろな生物が一本の樹の枝葉として繫がっている、ということが表現されています。有名なのは、世界遺産のオアハカのサントドミンゴ教会の天井にも描かれているものがありますが、石膏にカラフルに色付けした置物は民芸品として人気があるのです。今回は、メキシコらしく、死者の花嫁花婿が楽しそうに笑っているものを手に入れました。お店に飾ってあるので、見たい方はどうぞ!

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2006年11月 5日 (日)

満月のトナーダ

奔流に逆らって飛ぶ紅の鷺  そんな風にお前の心は俺の心に恋をした。

満月が出ている。 月が欠けていく。

小僧、家からカービン銃を持って来い。 俺の雌鳥にちょっかいを出す、あの鷹の奴を仕留めてやる。

月が俺を見ている。しかし、俺の何処を見ているんだ。

俺はきれいな服を着ている。昨日の午後に洗った。

俺はきれいな服を着ている。昨日の午後に洗った。

満月が出ている。月が欠けていく。

1928年生まれのベネズエラの吟遊詩人シモン・ディアス作の名曲「満月のトナーダ」

トナーダとはベネズエラの平原地帯で生活している牧童たちが歌う民謡です。シモン・ディアスも牧童として生まれましたが、首都カラカスに出て来て音楽活動を始め、その傍ら、コメディアンやテレビやラジオのタレントとして(多分、現在も)活躍しているそうです。彼が作曲した"CABALLO VIEJO"(老いた馬)という曲は13ヶ国語で300人によってカバーされたという名曲です。(そのうち、最も有名なのが、ワールドミュージックの波に乗ってブレークしたジプシーキングスの出世作「バンボレオ」です。クレジットでは彼等の作品ということになっていましたが、、、)

 さて、この「満月のトナーダ」ですが、ブラジルの歌手カエターノ・ベローゾがラテンアメリカの名曲をカバーしたアルバム「粋な男」で歌い、それをスペインの映画監督ペドロ・アルモドバルが「私の秘密の花」という作品で使って有名になりました。

 「奔流に逆らう紅の鷺」のように恋をしたというのは、運命に逆らうような道を外れた恋ということでしょうか。そして、男の、その相手に応じてしまおうという危ない衝動に突き動かされる心を鷹に喩えて、それを銃で撃ち殺してしまおうと歌っているのでしょう。この場合、ちょっかいを出されている雌鳥に喩えられているのは平穏にいこうとする男の心です。二つの相反する心、月は全てを等しく照らしているはずなのに、動揺している男は、「月が自分を見ている」と感じてしまう。「俺はきれいな服を着ている。」と繰り返しているのは自分は疾しいことはしていないと過剰に反応しているのでしょう。「月が欠けていく。」というところで、時間の経過を表現して、それに伴う男の心の動きを感じさせる。限られた自然の描写で、いろいろなことを想像させる、優れた俳句の世界にも通じる詩です。

 この曲で印象に残っているのは、カエターノ・ベローゾの「粋な男」ツアーの来日公演です。古代アメリカの先住民達の暮らしぶりを描いたメキシコの偉大な画家ディエゴ・リベラの壁画をバックに行われたこのコンサートで、アンコールで出てきたカエターノが舞台の袖で、月の光のようなスポットライトに照らされてアカペラで歌ったのがこの曲でした。あれは素晴らしかったなあ。

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2006年11月 3日 (金)

ビバ・テキーラ! ~メキシコの伝統と文化~

いつも、仕込み中にはラジオのFM放送をつけているのですが、今日、3ヶ国語を話すいかにも国際派という感じのDJ(と言わないで、最近はナビゲーターと言うらしいですが)の人が、「日本ではこれから寒い季節に入りますが、地球上には今から暑い時期になる所もあります。南米の国々です。」と喋っていたので、アルゼンチンかブラジルの話でもするのかなあ?と思っていたら、なんと「メキシコでは、、、」と始まってびっくりしました。

 メキシコが南米かよ!メキシコは地政学的には北米に属していますが、中米の国だと勘違いしている人は多くて、それは、気持ちは分からなくはない。中米とメキシコはつながっているし、同じスペイン語圏だし。それに対して同じ北米のカナダとアメリカ合衆国は英語圏で文化的にも相当違いがありますので。しかし、南米とは地理的に随分離れているし、それも南半球の国と間違うとはシンジラレナーイ!

 普通、こういう間違いが起きるとディレクターからヘッドホン越しに注意が入り、すぐ訂正されるんだけど、それも無かった。この程度の認識なんですね。昔、メキシコで、日本から来た、と言うと、「ああ、あのみんなが自転車を漕いでいるところか。」(明らかに中国と間違えている。)と言われたことがありましたが、日本人のメキシコに対する認識も、あのメキシコ人とあまり変わらないようですね。

 話が変な方に行ってしまいました。結局、そのナビゲーターさんが言いたかったのは、今、渋谷の「タバコと塩の博物館」で「ビバ・テキーラ! ~メキシコの伝統と文化~」という展示会をやっているということでした。けっこう面白そうです。メキシコの映画もやるみたいです。この「のんき大将」というルイス・ブニュエルの作品はお勧めですよ。

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2006年11月 1日 (水)

ガイコツに取り憑かれた娘

 4才の長女が、最近、ガイコツの話ばかりしている。メキシコの「死者の日」が近いからではなくて、幼稚園へ行く通り道にヘンなホルモン屋が出来てそこの店頭に通行人の注目を引くためか、大きな動くガイコツの人形が置いてあるからだ。そこの近くを通るたびに、とても恐がっていて、とうとう夢にも出てきたそうだ。でも夢に出てきたガイコツはミッキーマウスの可愛いガイコツだったらしい(笑)。この前の日曜日も、朝からガイコツの話をしていたので、下の娘(1才)が絵本と間違えて引っ張り出していた水木しげるさんのメキシコ旅行記の中にある表情豊かに笑っているメキシコのガイコツを見せてやると、恐がるどころか、面白いと言って、折り紙でガイコツを作ってくれとせがまれた。恐いと言いながらも、本当は興味があるんじゃないか?しょうがないから、折り紙をガイコツの形に切って、マジックでギザギザの歯と大きな目を描いた頭をくっつけてあげたら大喜びしていた。実際、メキシコにこの時期に飾ってあるガイコツたちは大きな口を開けてにたっと笑っているものが多い。しかも彼等は普通の人間のようにダンスしたり、自転車に乗ったり、求愛したりしている。こんなガイコツなら、子供も恐がることなく、楽しいと思えるのだろう。19世紀から20世紀にかけて活躍した風刺画家ホセ・グアダルーペ・ポサダがそんな明るいガイコツを大量に描いてから定着したようだ。ガイコツを明るく描くという感性はメキシコ独特のものなのだろうか。北米の映画監督ティム・バートンはそんな物の見方に刺激を受けて「コープス ブライド」という映画を撮ったという。でもこういう感性は他のラテンの国にもある気がする。昔、ボリビアのポトシという標高4000メートルのところにある鉱山を訪ねたとき、過酷な労働に従事している鉱夫たちがしばしの休憩をとる場所に愛らしい犬のような銅像があって、何かと聞くと悪魔だと言う。どうして悪魔がここに居るの?と聞くと、本当は神様に居て欲しいのだけど神様は天高くにいらっしゃるものだから、こんな地中には置けない。それで代わりに悪魔を置いているのだと言う。そんな理由で置かれている悪魔だから人の心を癒すような穏やかな表情をしていた。そして頭には供え物のコカの葉っぱが置いてあった。

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