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2006年9月

2006年9月27日 (水)

メキシコ料理ワークショップ

Rimg0055_1 昨日、メキシコのお役所主催のメキシコ料理ワークショップが都内のホテルで開かれたので、参加してきました。

先週末、開かれた”フィエスタ メヒカーナ”関連の行事で、メキシコからアナ・ベニテスさんというシェフが来日して、メキシコ料理に於けるとうもろこしの重要性などの講義の後、料理の実演、試食がありました。

 はっきり言って、講義や料理自体は、ぼくがメキシコの料理学校で体験したことと大差無く、目新しいことは無かったのですが、このアナさんという女性シェフのチャーミングな立ち振る舞いに魅了されました。最後の挨拶では今朝読んだという「古今和歌集」の歌を引用して、日本の関係者に感謝の念を述べるなど、情緒豊かな方でした。同行したスタッフのR嬢も感動したようで、終了後にサインが欲しい、と言っていましたが、シェフは大勢の人達に囲まれてしまっていたので諦めました。

 ところで、最初の挨拶でメキシコ大使がおっしゃっていましたが、近々、日本ーメキシコのアエロメヒコによる直行便が就航する予定らしいです。これはビッグニュースですね。

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2006年9月22日 (金)

SAIGENJI

ラテン音楽ばかり聴いていて、日本の音楽に疎いぼくですが、仕込み中とかに、ラジオを聴いていて、いいな、と思う人が何人かいます。そのうちの1人、SAIGENJIが昨日ラジオの番組に出ていて話をしていたけど、爽やかな感じの好青年ですね。

 彼の音楽の原点は中南米のフォルクローレにあるらしい。そこからブラジル音楽にどっぷり浸かってそこから更に広がっていったそうだ。気負いが無く、自然体でギターを抱えてどこでも歌っちゃいそうなところとか、かなり、ラテンのノリですね。スキャットとかファルセットとかソフトなファンクさとか、ちょっとジルベルト・ジルみたい。(古いか?)

 ニューアルバムは、ブラジルの気鋭、カシンのプロデュースだそうで、このカシンという人はカエターノ・ベローソの息子、モレーノとかユニットを組んでいるんだけど、彼等の音楽も相当良いみたい。それにしても、昔は良く聴いていたブラジルの音楽を最近は全然聴いていないなあ。あんなに好きだったマリーザ・モンチの新しいのもまだ買っていないし、、、

 ところで、SAIGENJIクンでぼくが好きなところに、彼の「よ」という音の発音があります。はっきりした「よ」よりも微かに「じょ」という音が混じっている感じなのですが、これが、スペイン語スピーカーの話す日本語のように聞こえるとこがツボ!です。

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2006年9月18日 (月)

敬老の日に思い出したこと

 今日は敬老の日。こういう日が設けてあるということ自体が、日頃、我々が、お年寄りを大切にしていないのかな、という気分になり反省させられます。それに比べて、ラテンの国々では、一般的に、老人に対する尊敬の念が強いように思われます。保守的なカトリックの影響、核家族化がそんなに進んでいない、ということも原因だと思われますが。

 老人に対する尊敬、ということを考えていたら、一つの昔の思い出が蘇ってきました。あれは、今から17年前の1989年の夏のこと、、、

 24歳のぼくは、アメリカのロサンゼルスからニューヨークを目指して大陸横断の旅をしていました。グレイハウンドバスで、サンアントニオ、ヒューストン、ニューオーリンズ、マイアミと廻り、マイアミからはバスの座席の狭さに耐えかねて、鉄道のアムトラックでニューヨーク行きの電車に乗り込みました。ぼくの斜め前の席に30代くらいの黒人の女性が座っていたのですが、彼女が凄かった。何かの被害妄想に取り付かれているのか、とても落ち着かない様子で、兎に角、目に入るもの全てに対して悪口を言い続けているのです。前を白人が通れば、白人の悪口、太った女性が通れば、その悪口、といったように。当然、周りの人達は、唖然としていて、何人か、丁寧な調子で彼女に何か注意をしようとするのですが、どうも、彼女は精神状態が正常ではないらしく、注意した人を口汚く罵り始める始末で、全く打つ手無しという感じでした。ぼくも、何か言おうと思ったけど、どうにも理性が通じる相手ではなく、まともに話にならないのが明白だったので、隣の乗客と目を見合わせて、しょうがないか、と諦めていました。

 そのとき、二つくらい前の席に、若い母親と二人の小さな子供、そしてその母親の年取った母というキューバ系と思われる家族が座っていました。子供達は、まだイタズラ盛りの様子であれこれとムリを言っては、母親にスペイン語で叱咤されていました。そのうち、子供達が、席にじっとしているのに飽きたのか、こちらのほうに歩いてきました。たちまち、件の女性に捕まって、「ヒスパニックの子供はどうだこうだ」と罵声を浴びせられました。可哀そうに、まだ、英語を解さない子供達も、その悪意に満ちた調子に脅えて、みるみる泣き顔になっていきます。そのとき、気の強そうな母親が、遂に切れて、激しい調子で黒人女性に対して英語で罵り始めました。黒人も負けずにやり返して騒然となり、周りがとても不穏な雰囲気になったその時、それまで静かだったキューバ系の母親の母の老女が、娘に対して"Callate!"(黙りなさい)とスペイン語で一喝したのです。娘はすぐに、こっちが悪いのでなく、向こうが悪いのだと、スペイン語で反論しましたが、母は更に一言、"Tu,callate!"(お前が黙りなさい)と説くように言いました。その一言で、キューバ系の女性は勿論、あれだけ、うるさかった黒人の女性も、まるで魔法がかかったように静かになってしまったのです。それからは、気を削がれたように件の女性も静かになり平穏な旅となりました。

 あのキューバ人の老女が発した一言には、伊達に年取っているだけではないぞ、という貫禄と威圧がこもっていました。理屈を超えた何かが。明らかに非は黒人のほうにあったのに、自分の娘を叱って、結果的に相手も黙らせてしまった、あの老女の振る舞いには老人が尊敬される理由が詰まっていました。

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2006年9月14日 (木)

メキシコ・ドキュメンタリー映画祭

一昨日、来店頂いたお客さんがこの映画祭のチラシとポスターを置いていかれたので、もう皆さんご存知かもしれませんが、告知しておきます。

メキシコ・ドキュメンタリー映画

ぼくも、時間を作って出来るだけ観に行こうとおもいます。

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2006年9月13日 (水)

9.11とメイン号事件

 あの衝撃的だったアメリカ合衆国の同時多発テロから5年が過ぎました。あれから、世界はどんどん悪い方に進んでいるように思われますが、今日、日頃から一目置いているカナダ人ジャーナリスト、ベンジャミン・フルフォードさんがあの事件について書いている「週刊ポスト」の記事をコンビ二で立ち読みして鳥肌が立つような思いをしました。彼によると、あの事件は、実は戦争の口実を作るためにアメリカ政府が起こした陰謀だという疑いが強い、というのです。俄かには信じ難いというか、信じたくない話ですが、色々な根拠が示されていて、無視出来ない内容でした。

 そこで思い出したのが、ちょうど1世紀前に起きた米西戦争のきっかけとなった「メイン号事件」です。当時、スペインの植民地キューバではホセ・マルティ先導による独立運動の機運が高まっていて、政情不安になっていました。そこでアメリカはキューバに住む合衆国市民の保護の名目で軍艦メイン号をキューバの港に停泊させていましたが、ある夜、この船が爆発して乗っていた300人近くのアメリカ人が死亡、これをスペイン軍の仕業と決め付けた、当時イエロージャーナリズムと呼ばれたウイリアム・ハースト系の新聞が戦意を煽り立て、戦争へ発展、アメリカはスペインに大勝し、キューバと、同じくスペインの植民地だったフィリピンを事実上自国の植民地とし、さらにどさくさに紛れてハワイまで領土にしてカリブ海から太平洋へと莫大な権益を得ました。しかし、冷静に考えてみると、戦力に劣るスペインが自分から戦争を仕掛けるようなことをするはずが無いことから、これはアメリカ政府の陰謀だったのではないかという見方が、依然、強くあります。このとき、マスコミが使ったことばが「リメンバー メイン」でしたが、そういえば、その50年ほど前にはこんなことがありました。当時メキシコの領土だったテキサスにアメリカ人が次々に入植していましたが、彼らは更なる権利を求めてテキサスのメキシコからの独立を企てました。それをサンタナ大統領率いるメキシコの大軍が鎮圧、最後はアラモの砦に立て籠もるデービッド・クロケット・ジュニア率いる200人余りのアメリカ人が玉砕しました。これをきっかけに「リメンバー アラモ」を合言葉に反撃に転じたアメリカ軍がメキシコ軍を撃破、メキシコシティーまで攻略して、その結果、テキサスからカリフォルニアへと続く広大な土地をメキシコから得ることに成功しましたが、あの時、アメリカはアラモに援軍を差し伸べることが出来たのに、そうせず、クロケット達を見殺しにしたのではないかという見方もあります。

 リメンバーといえば、更に思い出されるのは「リメンバーパールハーバー」ですが、あのときもアメリカ軍は日本が真珠湾を奇襲するという暗号を解読していたのに開戦への口実にするために敢えて何もアクションを起こさなかったという説は、事情通の間ではかなり通説になっていますよね。

9.11に付いては、日本や欧米諸国と違い、アラブの世界では初めから陰謀だという意見が多くあったようです。本当に、出来れば信じたくない話ですが、アメリカという国のこれまでの行動パターンを見てみると、(第一次世界大戦へのアメリカ参戦のきっかけとなったUボートによる客船撃沈事件、ベトナム戦争での攻勢拡大のきっかけとなったトンキン湾事件しかり)あながちデマとも言い切れません。充分に検証が必要だと思います。

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2006年9月11日 (月)

夜になる前に

前回、「昨日の旅」について書いた時に、イデオロギーのことに触れましたが、ちょっと前に読んだキューバの作家、レイナルド・アレナスの自伝、「夜になる前に」はそのことについて深く考えさせられる作品でした。

 レイナルド・アレナスは、1943年、キューバ東部の小さな村に生まれ、20才の時に書いた処女作「夜明け前のセレスティーノ」が国内の小説コンテストで2位となり注目されるも、その同性愛者ゆえの奔放な性と自由への願望が「反革命的」であると問題視され、以後の作品は国内では発表の機会を与えられないまま、常に体制の監視下に置かれる。 そんな中、友人に頼んで国外に持ち出してもらった第二作「めくるめく世界」がフランスにて最も優れた外国語小説に与えられるメディシス賞をガルシア・マルケスの「百年の孤独」と同時に受賞する。しかし、国内では相変わらず迫害され、悪名高いモロ砦の刑務所に投獄される。80年、マリエル港よりマイアミに亡命、以後ニューヨークに移住して執筆活動を続けるも、エイズに侵され苦闘の末、90年に自殺しています。

 この自伝を読んで感じるのは、アレナスの生に対するものすごいエネルギーです。革命政府のもとで同性愛者は徹底的に迫害されるのですが、それが故に燃え上がるというか、とても奔放に性愛を追い求めているんですね。そして、その表現が暗くなっていない。光り輝くキューバの海のように、あくまで明るく伸びやかに書いてある。まさにそういうところが、政府から「危険分子」とみなされた原因なのでしょうが。書きかけの原稿が、何度も当局によって処分されても、負けないで何度でも書き直したりと創作に対する意欲もすごい。

 また、カストロ政権に対して容赦ない批判を加えているのも、キューバ革命のロマンに憧れを感じていた者にはショックでした。批判の矛先は親左翼の文学者、ガルシア・マルケス、アレホ・カルペンティエール、エドゥアルド・ガレアーノなどにも向けられています。これも彼らの作品を愛読していた者には耳が痛い。しかし、彼の歩んだ壮絶な人生を思えば、こんな攻撃的な姿勢も理解出来る、というか認めざるを得ません。

 ぼくが初めて彼の作品に触れたのは、二作目の「めくるめく世界」でした。これは、18世紀、メキシコ生まれの異端の神父、セルバンド師が新旧大陸を股にかけて繰り広げる奇想天外な物語ですが、ベラクルースの悪名高いサンファンデウルア刑務所に入れられたりと、常に抑圧されながらも、その想像力とユーモアを駆使して大活躍する主人公の姿は、実際のレイナスの人生に重なる部分が、かなりあります。しかし、驚くべきことに彼はこの小説を20才そこそこの時にキューバから一歩も出ないで書いている、ということです。後にモロ要塞の刑務所に入れられたアレナスが、「まるで自分が書いた小説のようだ」という場面がありますが、まさに自分の未来をも予見するような、ものすごい想像力だと思います。

この彼の資質の源は、幼い頃に過ごしたキューバ東部の村の豊穣な自然と祖母から聞かされたお伽話にあると自身が告白していますが、ここで思い出してしまうのが、コロンビアのカリブ海沿岸から少し内陸の小さな村で生まれ育ったガルシア・マルケスです。彼も幼い頃の自然環境や祖母から聞かされた話が創作の原点と言っているのです。つまり、彼ら二人は、全く似たような境遇からスタートして類稀な才能を持っていたという共通項がありながら、レイナスは左翼政権に抑圧されて不遇な作家人生を送り、マルケスは右翼政権に反発して左翼のカストロの親友になり,ノーベル文学賞を受賞して世界的に評価される栄誉を得ています。グアテマラの自作自演の歌手、リカルド・アルホーナの歌に「もし、北が南だったら、カストロはウオール街で株の取引をして、ゲバラはハンバーガーを作っていたかもしれない。」というのがありますが、もし、アレナスとマルケスが反対の場所に生まれていたらどうなっていたかと想像してしまいます。

 アレナスと交流が深く、キューバからのボートピープルの話をドキュメンタリー映画に撮った、スペインはバルセロナ生まれ、キューバのハバナ育ちの映画監督、ネストール・アルメンドロスによると、この自伝は病魔に侵されてタイプが打てなかったアレナスに替わって、マルケスの秘書をしていた人物が原稿を仕上げたらしい。フランスでの同時受賞といい、この二人には因果関係が付きまとっていて、運命の皮肉を感じずにはいられません。

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2006年9月 6日 (水)

カリフォルニアロールからグアカモレへ

 20代半ば頃、ニューヨークの日本食レストランの寿司バーで働いてお金を貯めては、バックパックを担いで世界を放浪する長い旅に出る、という生活をしていました。ニューヨークはラテンアメリカにもヨーロッパにも近い。アメリカの中で唯一、車を持たなくても生活出来るし、家具付きのアパートもあるから、短期滞在者には有り難い。レストランで朝から晩まで働いていたらお金を使うこともないのでお金が貯まりやすいんですね。そんなことで、ニューヨークには約2年半滞在して四軒のレストランで働き、休みの日も機会があれば、他の店や、パーティーのケータリングなどでせっせと働いていました。

 今は日本でメキシコ料理を作っているので、その頃と全く違ったことをやっているように見えるかもしれませんが、他の国の料理を、文化の違う人達に紹介するという意味で、けっこう似たようなことがあるのです。

 アボカドを「アボガド」と言うお客さんからは、うなぎ(アメリカでは穴子より鰻のほうが人気がある)のことを「アナーギ」とオーダーしていたお客を思い出す。料理に散らしたコリアンダーの葉っぱを一枚ずつ丁寧にどかしてから食べている人を見ると、握り寿司のネタを全部引っ剥がしてワサビを取り除いてから食べていた人を思い出す。タコスを半分に切ってくれという人がいると、握り寿司の盛り合わせの皿を付き返して、"CUT IN HALF!"全部半分に切ってくれと言った人を思い出す。モレポブラーノのソースを豚肉にかけてくれというお客さんに言われると、ウナギと納豆を一緒に巻いてくれと頼んだお客さんを思い出すのです。そういえば、向こうでは、ワサビが好きな人のために、親指大ほどのワサビをガリと一緒にお皿に置いておくのですが、それをアボカドのディップと勘違いして、それだけを一気に口に放り込んでしまい、慌ててトイレに駆け込んだ可哀そうな女の子もいましたっけ。

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2006年9月 4日 (月)

昨日の旅

 先日、帰省した際に実家の本棚を見ていたら、昔読んだ清水幾太郎の「昨日の旅」という文庫本を見つけました。この本は「ラテンアメリカからスペインへ」という副題が付いていて、清水さんがメキシコやブラジルなどラテンアメリカの国を旅した後に旧宗主国であるスペインに渡った旅の紀行文です。ラテンアメリカの国々の独立の英雄達や、フランスの社会学者オーギュスト・コント、イエスズ会創始者のイグナシオ・ロヨラの足跡を辿って、スペインでは独裁者フランコの死と新国王カルロス一世の即位に遭遇するというもので、歴史に関する深い認識を持つ著者ならではの洞察が興味深い本です。

 ぼくが、今から14年前にスペインからラテンアメリカへと渡る10ヶ月にも及ぶ旅に出たのもこの本の影響が少なからずあったので、懐かしく読み返しました。ところで、この本を最初に読んだ時は知らなかったのですが、清水さんという人は所謂左翼の「進歩的文化人」として、1960年の安保反対運動の指導者として活躍したが、敗北、その後は、防衛力の増強を唱えるなど、右に急旋回して「転向者」と随分批判された方のようです。

 こういう右翼と左翼の対立といった構図はラテンアメリカの文化を語るときによく出てくる話です。たいがい、「右」の独裁者がいて、それの批判勢力として、文学や音楽の世界では「左」の思想を持つ人が多い。まあ、キューバなんかは逆ですが。

 でも、ぼくは思うのですが、例えば一つの高い山の頂に登るのにいろいろなルートがあるように、右の人も左の人も目指しているところは同じで、たまたま選んだ道が違うだけなのではないでしょうか。だから、どっちの人の言うことにも同意する部分がそれぞれあるんです。でも、多くの人はどっちかに属してしまうと、とにかく相手の言うことは全否定というふうに凝り固まってしまうのです。

 ぼく自身は、被爆地である広島の出身で、周りに左翼的な考えの大人が多かったので、若い頃はそっちの考えが強かったのですが、あちこち他の国々を廻っているうちに、だんだん民族的な考え(これって右翼?)も身に付いて来ました。でも自分が変わったとは思っていません。だから、清水さんという方も、まあ、ぼくなんかと比べるのは僭越ですが、他人の眼はどうあれ、自身の中では「転向」したという認識は無かったのではないかと思うのです。

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2006年9月 1日 (金)

ペドロ・アルメンダリス

 トラックバックに付いていた映画の情報で分かりましたけど、「カクタス・ジャック」や「アマロ神父の罪」に出ていたのは、メキシコ映画黄金期の名優、ペドロ・アルメンダリスの息子さんだったんですね。考えてみたらそれはそうですよね。彼がもし今も生きていたら、それこそ、ヨボヨボのお爺さんでしょうね。

 それで思い出したのですが、ペドロ・アルメンダリスはジョン・フォード監督などの西部劇にも、けっこう出ていたんですね。広瀬隆さんが随分前に書いた本「ジョン・ウエインはなぜ死んだか」では、ネバダ州などの核実験で残った放射線の影響で多くのハリウッドの役者が早死にしたという推察をしていましたが、ペドロもその1人だったという扱いをされていた気がします、、、

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