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2006年8月

2006年8月31日 (木)

ブリトー?ブリート(タ)?

 メキシコ料理でタコスの次か、或いは同じくらいに有名なのはブリトーでしょう。あのセブンイレブンが20年以上も前に売り出していたから、認知度が高まったのはタコスより早かったでしょうね。

 でも、このブリトー、アメリカではとても人気のある食べ物ですが、メキシコではあまり食べられていないって知っていましたか?呼び方もメキシコでは、ブリートとかブリータというふうになります。この名前は、もともとロバという意味のBURROにスペイン語でいうところの縮小辞ITO(A)が付いたものです。この縮小辞という奴は物を親しみを込めて呼ぶときに使う表現で、スペイン語圏の中では、メキシコが圧倒的によく使うんですね。ぼくがやっているお店「SALSITA」もソースの意味のSALSAに縮小辞ITAを付けたものです。メキシコ料理のお店の名前にはこんな終わり方をしているものが多いと思いますよ。こうすると、やはり、メキシコっぽい響きになるんですね。ちなみにメキシコには「SUSHITO」という寿司のチェーン店があります。話が逸れました。それで、ロバには背中にいろいろな荷物を背負わせることから、この小麦粉のトルティーヤにいろいろな具材を詰める料理を「可愛いロバちゃん」みたいに呼ぶんですね。日本人にはちょっと理解しにくい感覚かもしれませんけど。

 この小麦粉のトルティーヤにっていうところが肝心です。実は、アメリカではとても一般的な小麦粉のトルティーヤですが、メキシコではとても少数派なんですね。食べられているのはアメリカとの国境に近い北の地方くらいです。メキシコでは、トルティーヤと言えばとうもろこしというのが定番なんです。まあ、最近はグローバル化の影響というか、それ以前からメキシコは常に北の隣人アメリカの強い影響下にありましたが(コカコーラの元社長が大統領になるくらいですから)、アメリカで人気のこの料理がメキシコシティなんかでも少し見られるようになりましたが、、、

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2006年8月30日 (水)

タコ?タコス?

 メキシコ料理で一番有名なものというと、やはり、「タコス」でしょう。しかし、このタコスは「タコ」の複数形だと知っている人は少ないのではないでしょうか?

 だから、厳密に言うと「タコスを一つ下さい」なんて言うのはおかしいんですね。でも、日本語には単数形と複数形の区別が無いので 、いちいち「タコ」と「タコス」で使い分けるのは無理だし、どっちかに統一しないといけない。本当は、単数形にするのが自然だけど、「タコ」だと「蛸」と間違えそうで紛らわしいし、みたいな理由で「タコス」にする、ということになったんでしょう。

 ぼくも昔は、この「タコス」という呼び方に随分違和感を感じていて、今となっては笑ってしまいますが、お店で頼む時に、メニューに「タコス」と載っているのに、わざわざ「タコ下さい。」とオーダーして、お店の人に「タコスですね。」と聞き返されたりしていました。

今では、そんな小さなことにはこだわらなくなって、わが「サルシータ」のメニューにも「タコス」と載っていますが。きりがないですからね、こんな「外国語」と「外来語」の違いを気にしていたら。

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2006年8月29日 (火)

POR FAVOR

 気が付いてみたら、スペイン語と接するようになって、今年でちょうど20年目になっていました。ひょんなことから、カリフォルニアの日本食レストランで働くことになったのが、1986年のこと、キッチンではメキシコ人やエルサルバドル人が何人もいて、そこでは日常的にスペイン語が話されていたのでした。初めて覚えた言葉はグラシアス(ありがとう)、それからポルファボール(お願いします)でした。英語の聴き取りに四苦八苦していたからか、スペイン語の響きが、柔らかくて親しみやすく聞こえたのを覚えています。

 言葉は文化、と言いますが、ラテンアメリカやスペインの文化に興味を抱くようになったのは、やはり、スペイン語の語感や表現が好きだったのが大きかったですね。

 さて、その初めて覚えた記念すべき言葉の一つ、ポルファボール(POR FAVOR)、ですが最近、面白い発見をしました。10年くらい前に働いていたあるメキシコのレストランのまだ10代だった若いウエイトレスが、「ポルファ!」と略して使っていて、ちょっと違和感を感じながらも、まあ可愛いいからいいか、と思っていましたが、先日観たメキシコ映画の「カクタス・ジャック」で、登場人物の若い女が、「ポル!」と更に略して使っていてびっくりしました。日本でも、最近、いろいろな言葉を略して使うのが流行っていますが、メキシコでもそうなのかな?

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2006年8月28日 (月)

悲劇週間

 1910年代に勃発したメキシコ革命の模様を、当時日本のメキシコ領事の子息として偶然居合わせた、当時20才だった後の詩人、仏文学者の堀口大學の眼を通して描いた小説、「悲劇週間」(文藝春秋刊)を読み、束の間、そのロマン溢れる世界に酔いしれました。

 詩の世界に惹かれながらも将来の進路に悩んでいた大學青年に、日本初の外交官としてメキシコに赴任していた父からフランス語の勉強になるからと、お呼びがかかり、日本とは全く異なる未知の国に訪れてみたら、まさに、その時、革命の火の手が上がったところだった、、、という設定で始まる物語で、青春真っ只中の20才の大學が、メキシコの祝祭的な空間の中で、複雑な国際情勢を睨みつつ、まだ近代国家になりたての日本の国益を守ろうと苦慮する父を案じたり、理想に燃える革命軍大統領のマデロやその弟、拳銃を持った詩人との友情、コーヒー色の肌の美女との秘めたる恋などを通して成長していく、といった内容です。

 堀口大學が、当時、日本のメキシコ大使館に滞在していて、革命の最中に身の危険を察知して逃げてきたマデロ大統領の家族を領事である父がかくまった、という話は本で読んで知っていました。この物語は、その史実をもとに展開しているのですが、話の肉付けは作者である矢作俊彦さんの想像力によるところが多いのでしょう。語り手を主人公の若き詩人、大學に設定してあるので、初々しい感性で捉えた異国情緒や革命の理想といったものが夢見心地のように語られていて、完全にあの時代にトリップした気分になりました。革命の英雄、パンチョ・ビヤや若き日のアメリカ人ジャーナリストのジョン・リード、それに日本大使館に勤める元藩士など個性の強い脇役も見逃せません。

 そしてもうひとつ羨ましかったのが、ここで語られている、当時の美しいメキシコシティの姿です。革命前に40年に渡って独裁を敷いたポルフィディオ・ディアス大統領のフランス趣味のお陰でもあるのですが、花の都パリを模してレフォルマ通りやエレガントな建物が造られたばかりの頃のメキシコシティはさぞや美しかったことでしょう!前にメキシコ通のアメリカの作家、ピート・ハミルが若き日に訪れたメキシコシティはパリよりもニューヨークよりも魅力的な都会だったと書いているのを読んで嫉妬しましたが、今回はもっとです。

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2006年8月24日 (木)

車窓からの風景

 メキシコ料理店「サルシータ」のホームページに書いていた、ラテンアメリカに関するコラム、「MY LATIN THINGS」を、今回からブログ形式にしました。これからは、より、日常的で些細なことも取り上げて、ぼくなりのラテンのパースペクティブを通して語っていこうと思っています。

 先日、お盆休みに故郷の広島に帰省しました。新幹線の窓から外の風景を眺めていると、田んぼが多くて、日本ってやはりお米の国なんだなあとしみじみ思いました。普段、東京で生活していて、滅多に外に出ないので、あまり感じないのですが、日本は山があって、川があって、海や湖もあって、本当に美しい国なんだなあと実感しました。

 思えば、昔はよく旅をして、バスの、或いは電車の窓から色々な国の景色を眺めたものでした。そして、当然のことながら、その風景はそこに暮らす人達の生活に密接に結びついているんですよね。

 メキシコでは荒涼とした大地にとうもろこしの畑が延々と続き、アルゼンチンではパンパと呼ばれる広大な草原地帯が、ボリビアとチリの国境付近では標高3000メートル以上の高地に広がる塩の砂漠。そこから北に行くとペルーへと続くアルティプラノ(高原)、エクアドルではバナナの木々が連なり、コロンビアのカリブ海沿岸にはシエナガと呼ばれる沼地が広がっていました。いつか、余裕が出来たらまた訪れてみたいものです。

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